地域情報
1. オーヴェルニュ・ローヌ・アルプ州の概要紹介


オーヴェルニュ・ローヌ・アルプ州の主要都市として、レストラン・ポール・ボキューズなど有名なレストランが軒を並べ、「美食の都」として名高いリヨン市、モンブラン山脈を含むフレンチアルプスに囲まれたシャモニー市、MINATEC(ヨーロッパ最大規模のイノベーション・キャンパス)やCEA(原子力研究センター)などが所在し、研究都市として有名なグルノーブル市、ミネラルウォーターのVolvicの源泉に近いクルレモン・フェラン市、ユネスコのデザイン都市に指定されているサン・テティエンヌ市などが挙げられ、文化に溢れ、豊かな自然環境に恵まれた地域です。また、若年層の人口が多く、住みやすい生活環境、交通の便の良さ、質の高いイノベーションや研究技術を誇ります。
基本情報
オーヴェルニュ・ローヌ・アルプ州の基本情報を紹介します。(参考:オーヴェルニュ・ローヌ・アルプ州商工会議所データ(2020年))
1. 人口:約802万人
2. 面積:約69 711 km²(フランス国内の12, 8%)
3. 人口密度:114人 / km²
4. GDP:2,630億ユーロ(フランス国内の11, 5%、フランス第2位)(州のGDPはポルトガルやフィンランド一国のGDPを上回る)
5. 雇用者数:約339万人
6. 失業率:7,3%
7. 行政:
〇 州議会議長:Laurent WAUQUIEZ(ローラン・ヴォキエ)
〇 政治グループ数:7
〇 議会議員数:204人
※出典:https://www.auvergnerhonealpes.fr/38-les-elus.htm
政治グループ | 人数 |
---|---|
共和党、右派連合及び市民団体 Républicains, Divers Droite, Société Civile et apparentés |
118 |
環境 Les Ecologistes | 28 |
民主独立連合、中道派グループ UDI- Centristes et Apparentés | 18 |
国民連合 Rassemblement national | 17 |
社会党、環境派及び民主派 Socialiste, Ecologiste & Démocrate | 13 |
不服従、共産党 Insoumis & Communistes | 6 |
左翼急進党 Parti Radical Gauche | 4 |
計 | 204 |
8. 交通:
〇 国際線・国内線空港 : Lyon-Saint Exupéry空港、Clermont-Ferrand Auvergne空港、Grenoble Isère空港、 Chambéry-Savoie-Mont-Blanc空港
〇 TGV(高速鉄道) : Lyon Part Dieu駅、Lyon Perrache駅、Grenoble駅、Saint-Étienne駅、 Chamonix-Mont-Blanc駅、Clermont-Ferrand駅など
〇 高速道路:全長1,700 km
9. 産業分野:
〇 機械製造(Montabert, Sodimas)
〇 金属製品製造(Constellium, Tefal)
〇 プラスチック・ゴム製品製造(Michelin)
〇 電気・電子部品製造(STMicroelectronics/Schneider Electric)
〇 化学(Biomérieux, Arkema)
〇 製薬(Sanofi Pasteur/ Sanofi Chimie)
〇 食品(Evian, Volvic, Valrhona)
〇 繊維(Hexcel composites)
10. 日本との関係:
日本とオーヴェルニュ・ローヌ
の関係は、約160年前に日本とフランスの外交関係が樹立され、絹を通じたリヨン市との交流が原点です。第2次世界大戦後、特に2000年以降は経済関係が急速に発展しました。2003年当時、当州の日系企業数は55社でしたが、今日現在では約230社が所在しています。また、在留邦人数も2003年の1,995人から約3,500人へ増え、パリに次ぐ邦人の集住地域となっています。このように化学、医療及び自動車などの産業集積地である当州は、パリ都市圏に比べ人件費やテナント料が安価であることから、日系企業の進出先として人気を集めています。また、文化や芸術、学術交流の面においても日本と当州の活発な交流が行われています。
〇 在留邦人数:約3,500人
〇 日系企業数:約230社
〇 都市間協定(姉妹都市、友好都市、アニメ産業交流等)
・リヨン市(Lyon) | 横浜市(神奈川県) | 1959年~ |
---|---|---|
・シャモニー市 (Chamonix) | 富士吉田市(山梨県) | 1978年~ |
・アンベール市(Ambert) | 東秩父村(埼玉県) | 1989年~ |
・エヴィアン市 (Evian) | 出雲市(島根県) | 2002年~ |
・アヌシー市(Annecy) | 練馬区(東京都) | 2009年~ |
・グルノーブル市 (Grenoble) | 筑波市(茨城県) | 2013年~ |
・ブール・ド・ペアージュ市(Bourg-de-Péage) | 富岡市(群馬県) | 2015年~ |
・エヴィアン市 (Evian) | 山中湖村(山梨県) | 2017年~ |
11. 観光:
オーヴェルニュ・ローヌ・アルプ州はフランス国内第2位の観光地で、観光収入は212億ユーロです。またリヨン市は国際イベント開催数においてフランス国内第2位を誇ります。
オーヴェルニュ・ローヌ・アルプ地方観光局による観光紹介動画:https://discover.rendez-vous.tv/Destination-Auvergne-Rhone-Alpes-France-japanese-version.html

アヌシーの山 @www.TristanShu.com
Auvergne-Rhône-Alpes Tourisme

モンブラン山脈 @JF. Hagenmuller
Auvergne-Rhône-Alpes Tourisme

シャモニー・エギュイ・デュ・ミディ展望台
©OT Chamonix M. Colonel - AuRA Tourisme
リヨン市以外の当州の主な都市の基本情報
1. グルノーブル・アルプ・メトロポール
- グルノーブル・アルプ・メトロポールのコミューン(自治体)の数:49
- 人口:44,4万人
- GDP:2億4千万ユーロ
- 企業数:3,3万社
- 学生数:67万人
- 研究所数:13ヶ所(フランス国内第2位)
- URL:https://www.grenoblealpesmetropole.fr/ (フランス語のみ)
2. サン・テティエンヌ・メトロポール
- サン・テティエンヌ・メトロポールのコミューン(自治体)の数:53
- 人口:40,4万人
- 企業数:2,4万社
- URL:https://www.saint-etienne-metropole.fr/ (フランス語のみ)
- クレルモン・フェラン・オーヴェルニュ・メトロポールのコミューン(自治体)の数:21
- 人口:29万人
- 企業数:1,4万社
- URL:https://www.clermontmetropole.eu/accueil/ (フランス語のみ)

グルノーブルの街
© P. Blanc - Auvergne-Rhône-Alpes Tourisme

デザインの街のサンテティエンヌ
@JL. Rigaux - Auvergne-Rhône-Alpes Tourisme

ミシュラン博物館
@L'Aventure Michelin - Auvergne-Rhône-Alpes Tourisme
2. リヨン・メトロポールの概要紹介

また、2000年以上前からガリアの首都・ルグドゥヌムと名付けられ栄え、2つの川(ローヌ川、ソーヌ川)と、2つの丘(クロワ・ルースの丘、フルヴィエールの丘)があり、旧市街は1998年にユネスコの世界遺産に登録されました。
基本情報
リヨン・メトロポール(広域の自治体連合)の基本情報を紹介します。(参考:ONLY LYON及びADERLY調べ(2020年))
1. リヨン・メトロポールのコミューン(自治体)の数:59
2. 人口:約140万人(オーヴェルニュ・ローヌ・アルプ州の17%)
3. 面積:約533 km²
4. 人口密度:2,596人 / km²
5. GDP:740億ユーロ
6. 雇用者数:約77万人
7. 失業率:7,6%
8. 行政:
〇 リヨン市長:Grégory DOUCET(グレゴリー・ドゥセ)2020年7月より
〇 リヨン・メトロポール議長:Bruno BERNARD(ブルーノ・ベルナール)2020年7月より
リヨン・メトロポールの政治グループ数:10
リヨン・メトロポールの議員数:150人
※出典:https://www.grandlyon.com/metropole/les-groupes-politiques.html
政治グループ | 人数 |
---|---|
環境党 Ecologistes | 58 |
右派・中道・市民社会連合 Rassemblement de la droite, du centre et de la société civile |
33 |
社会党・社会左派・行動を共にするエコロジー Socialistes, gauche sociale et écologistes apparentés |
13 |
進歩・共和 Progressistes et républicains | 11 |
メトロポールシナジー Synergies Métropole | 11 |
創ろう明日のメトロポール Inventer la Métropole de demain | 9 |
共産・共和 Communistes et républicains | 6 |
不服従と団結のメトロポール Métropole insoumise résiliente et solidaire (ou gauche radicale) |
3 |
共同メトロポール Métropole en Commun | 3 |
皆のメトロポール La Métropole pour Tous | 2 |
無所属 Non-inscrits | 2 |
計 | 150 |
経済
9. フランス国内ランキング:
〇 工業都市(雇用者数) : 第1位
〇 スマートシティ(事業者及び投資額) : 第1位
〇 ガストロノミー : 第1位
〇 デジタル産業(雇用創出数) : 第1位
〇 学生都市(学生数) : 第1位
リヨン観光局(ONLY LYON)による紹介動画:https://www.youtube.com/watch?v=sP_oYf7fp9g&t=12s

リヨンの夜景©Only Lyon

フルヴィエール大聖堂の丘の展望台© F. Lapoint
10. 国際:
〇 領事使節団 : 66ヶ国(外国領事施設及び名誉領事を含む)
〇 リヨンが設立した国際ネットワーク : DELICE, LUCI, EUROCITIES, SILKCITIES
11. 企業:
〇 企業数:約14万社
〇 リヨンに進出した海外企業数(2020年):51社(従業員1人~)
〇 リヨンに進出した海外企業数(合計):約388社(従業員20人以上)
12. 産業分野:
〇 自動車産業:オーヴェルニュ・ローヌ・アルプ州は自動車産業が盛んで、約900社の企業が10万人の雇用を創出しています。主に車体、電子部品、エンジンを生産しており、大型車両では国内生産数トップを誇ります。
〇 デジタル産業:リヨン・メトロポールのデジタル・IT技術・新エネルギー分野のクラスターや企業が数多くの雇用を創出しています。
〇 化学産業:リヨン市から7km南には、ケミカルバレーと呼ばれる化学工場地域があり、6,000人(2,000人の研究者を含む)の雇用を創出しています。
〇 製薬産業:リヨン市のジェルラン(Gerland)地区にはバイオセンターがあります。製薬産業などの中心地として50社が所在し、2,750人の研究者と5,000人が医療やバイオテクノロジー関連に従事しています。2015年にはWHO(世界保健機関)の新事務所が設立されました。
〇 交通:リヨン市は公共交通機関が発達しています。また、スマートシティを目指し、多くの共同開発プロジェクトが行われており、リヨン市内では世界初の自動運転バスNAVLYが走り、SNCF(フランス国有鉄道)のリヨン車両整備工場では自動搬送ロボットWall-Eが導入されています。

バイオマス産業都市© Thierry Fournier - Métropole de Lyon

イノベーションと学術交流© Laurence Danière - Métropole de Lyon

Chemical Valley@Aderly

NAVLY自動運転バス© Pierre Salomé - Aishuu
13. 競争力拠点(全13分野)・企業クラスター(全20産業):
競争力拠点とは、産業化前の同一分野の「研究施設・教育機関」を1つの集合体として編成し、財政支援によりイノベーション環境などを整備することです。また、クラスターとは、同一分野の「企業」を1つの集合体として編成し、財政支援により国内及び国際競争力の強化を狙う政策です(以下に競争力拠点(●)、企業クラスター(◆)の一部を記載)。
● バイオ医療、ワクチン診断薬、医療機器:LYONBIOPOLE
● バイオマス・環境科学:AXELERA
● マイクロ / ナノ・テクノロジー:MINALOGIC
● 交通産業(トラック、バス、車両等):CARA
● 繊維産業:TECHTERA
● 再生可能エネルギー:TENERRDIS
● プラスチック産業:POLYMERIS
◆ 省エネルギービル:CLUSTER ECO-BATIMENT
◆ 照明産業:CLUSTER LUMIERE
◆ 航空宇宙産業:CLUSTER AEROSPACE
学術・文化
14. 学術交流:
リヨン・メトロポールには4つの大学と4つのグランゼコールがあり、約13万人の学生が在籍し、約1,3万人の外国人学生が留学しています。東京大学、東北大学、早稲田大学を始めとする数多くの日本の大学とも協定を結んでいます。
15. 日本との友好関係:
日本とリヨン市の歴史的関係は古く、江戸末期まで遡ることができます。ナポレオン3世の統治下,リヨン市は「絹の都」として栄華を極めましたが、1855年に発生した蚕の病により,フランスの養蚕農家は壊滅状態となります。その際、江戸幕府から蚕卵が送られたことでフランス経済は復興を果たし、リヨン市の絹織物業者は、感染病に耐久できる蚕と生糸を日本から輸入するようになりました。これが契機となり、日本とリヨン市の交流が活発になりました。
その後、近代化が始まった日本では、フランスから多くの技術がもたらされました。1871年に明治政府は、オーヴェルニュ・ローヌ・アルプ州生まれのエンジニア、ポール・ブリュナ氏に富岡製糸場の建設を委託した他、京都西陣織へリヨン市の織技術は移転されるなど、絹及び絹織物は日仏関係の黎明期において重要な役割を担いました。なお、日本とリヨン間の友好関係を象徴する富岡製糸場は、2014年6月にユネスコ世界遺産に登録されました。
16. 姉妹都市交流:
横浜市とリヨン市は1959年に姉妹都市提携を締結しました。2019年、荒木田横浜副市長(当時)がリヨン市を訪問し、姉妹都市提携 60 周年を記念した桜の植樹式を開催しました。また、横浜とリヨン市の交流の契機が絹であったことを踏まえ、絹の祭典「シルク・イン・リヨン」と「絹の都市国際ネットワーク」調印式に参加しました。

リヨンの絹工場@Soierie Saint-Georges

富岡製糸場
歴史
16. リヨンの歴史:
リヨン市は2000年以上の歴史を誇る都市であり、「祈りの丘」と呼ばれるフルヴィエールの丘、「働きの丘」と呼ばれるクロワ・ルースの丘の二つの丘に囲まれ、街の南では、ローヌ川とソーヌ川が合流しています。ローヌ川はスイスのローヌ氷河に源を発し、地中海に注ぐスイスとフランスを流れる川です。ソーヌ川はヴォージュ県に源を発し、フランス東部から南下しリヨン市でローヌ川と合流します。
i. リヨン: ガリアの首都

ルグドゥヌム © Archives Municipales de Lyon
紀元前43年、リヨン地方はローマの支配を受け、フルヴィエールの丘で行われた儀式でルグドゥヌム(Lugdunum)と名付けられました。ラテン語で「光の丘」という意味があり、フルヴィエールの丘が太陽の昇る東の方角を向いていることに由来しています。ルグドゥヌムはローヌ川とソーヌ川が合流する水運貨物の物流拠点であり、またローマから道が続いていたことから、ヨーロッパの交通の要衝として栄えました。2世紀には初めてキリスト教会が建設されました。
- ガリアの首都/ Lyon, Capitale des Gaules ガリア時代、ルグドゥヌムの中心街であるプレスキルとクロワ・ルース地区では、商業が発展し、劇場、女神キュベレー(Cybèle)の神殿、兵舎、水路、公衆浴場及び水路などが建設されました。そして、ガリアの首都として、政治、軍事、経済、芸術及び交通におけるヨーロッパの主要都市の1つとなりました。
- キリスト教の中心地/ Lyon, berceau du Christianisme
当時も宗教は社会と人々の生活において、大きな役割を果たしていました。ルグドゥヌムはキリスト教における重要な都市の1つとして、教会の建設や儀式が多く行われました。313年にローマ皇帝コンスタンティヌス1世によって発布されたミラノ勅令(キリスト教を公認する法令)の後、キリスト教が更に発展したことで、教会や修道院などの建造が相次ぎました。
- ローマ帝国の退廃 / Le déclin de l’Empire romain
4世紀には、ローマ帝国の衰退とゲルマン民族による侵略や戦争により、ルグドゥヌムは徐々にその活力を失いましたが、ローマ様式の生活は7世紀まで続きました。
ii. リヨンの特徴
- ガストロノミー / La Gastronomie
リヨン市は「美食の都」として世界的にも名高く、今日まで多数の有名シェフを輩出しています。ポール・ボキューズ(Paul BOCUSE)、メール・ブラジエ(Mère BRAZIER)、マチュ ・ヴィアネ(Mathieu VIANNAY)もリヨン市出身のシェフです。日本人シェフが経営するミシュランの星付きのレストランも数軒あります。
- 映画 / Le Cinéma
リヨン市には、映画博物館「リュミエール研究所」があり、リュミエール兄弟によって発明されたシネマトグラフについて学ぶことができます。1895年、リュミエール研究所の前で「工場の出口 – La sortie de l’usine Lumière」と呼ばれる世界初の映画が撮影されました。2009年より毎年10月に映画祭(Festival Lumière)が開催され、毎年約20万人の集客があります。
- 光の祭典 / La Fête des Lumières
1852年12月8日、フルヴィエールの大聖堂の聖母マリア像の完成式典が悪天候のため延期されそうになりましたが、奇跡が起き、雨が急に止みました。そこで喜びに満ちたリヨン市民は外に出てロウソクを持ちながら、リヨン市の道を歩き、自宅の窓辺にはキャンドルを飾ったと言われています。1852年に始まった、12月8日にキャンドルを灯す伝統は、現在でも継承され、2002年からは街全体がプロジェクションマッピングで光の芸術に包まれる「光の祭典」となり、毎年世界中から400万人が訪れます。
- 印刷業/ L’imprimerie à Lyon
リヨン市は「印刷の都」としても有名です。フランスでの印刷業の歴史は15世紀の後半まで遡ります。フランス初の印刷工房がパリ市に設立され、1470年に初めて書籍が出版されました。そして1472年に、バルテルミー・ビュイエ(Barthélemy BUYER)がリヨン2区のメルシエー通り(Rue Mercière)に印刷工房を建設し、活版印刷機が導入されました。翌年の1473年にはリヨン市で初めて書籍が出版されました。リヨン市で印刷された有名な作品として、ラブレー(RABELAIS)の「パンダグリュエル」やノストラダムス(NOSTRADAMUS)の「大予言」があります。
また、ドイツ出身のグリフ家(Gryphe)などの職人が次々とメルシエー通りに印刷工房を構え、リヨン市の印刷業は繁栄しました。しかし、その黄金期は100年も続かず、1560年には政治や経済の混乱から印刷業者はリヨンから離れてしまいました。
1964年、リヨン市に「印刷博物館・Musée de l’Imprimerie」が建設されました。現在も同博物館で印刷の歴史を学ぶことができます。
- 鉄道 / Le Chemin de Fer
石炭の生産で有名な工業的な都市、サン・テティエンヌ(Saint-Étienne)市はヨーロッパにおける鉄道の発祥地と言われています。1827年にサン・テティエンヌ市ーアンドレジユ市間(ロワール県)にヨーロッパで初の鉄道路線(全長約20km)か整備され、石炭が運ばれました。
そして、1832年にサン・テティエンヌ市ーリヨン市間で、フランス初の旅客路線(全長58km)が開業し、1833年には、サン・テティエンヌ市ーロアンヌ市(ロワール県)間の旅客路線が整備されました。

リヨンのガストロノミー ©Grand Lyon

光の祭典 © Brice Robert

1834年のリヨンーサンテティエンヌ間鉄道切符© Musée Saint Etienne

リュミエール兄弟 © Institut Lumière - OT

1541年 グリフ家による印刷
iii. リヨンの観光
- 「祈りの丘」とリヨン旧市街 / La colline de Fourvière et le Vieux-Lyon
「祈りの丘」(フルヴィエールの丘)のふもとにリヨン旧市街(ヴィュー・リヨン – Vieux Lyon)があります。ルネッサンス期の繁栄を残す歴史地区であり、1998年にユネスコ世界遺産に登録されました。旧市街には、リヨン市で最も古い大聖堂のサン・ジャン大聖堂があり、美しいステンドグラスやバラ窓、天文時計などを楽しむことができます。
「ギニョール」人形劇の創設者、ローラン・ムルゲ(Laurent MOURGUET)は、カニューと呼ばれた絹職工の家庭に生まれました。現在、リヨン旧市街にあるマリオネット博物館では約2,000体の人形を所蔵しています。博物館の近くには、旧市街からフルヴィエールの丘まで繋ぐケーブルカーがあり、リヨン市民から「紐 - La ficelle」と呼ばれています。
リヨン旧市街には、トラブール(Traboule)と呼ばれる狭い通路があります。トラブールはフランス語で「道を横切る」という意味です。建物と建物の間につくられた抜け道で、入口から中庭を通って別の通りに出ることができます。19世紀、雨を避けて絹織物を運ぶための近道として職人に使われ、第2次世界大戦中は、レジスタンス運動や逃げ道として使われました。リヨン市には約300のトラブールがあります。
- 「働きの丘」カニューの丘 / La colline des Canuts
「働きの丘」であるクロワ・ルース(Croix-Rousse)地区は、絹職人の街として発展し、ほぼ全ての家庭に織機がありました。同地区(赤茶色の十字架の意味)の地名はリヨン周辺にあるモン・ドール山脈(黄金の山)の村で作られていた、赤茶色の十字架に由来しています。現在も十字架の複製がジョアネス・アンブル広場(Place Joannès Ambre)に設置されています。
1831年及び1834年に「カニューの反乱」(Révolte des Canuts)と呼ばれる労働者の反乱が起きました。当時、絹職人は厳しい労働条件を強く批判していました。カニューの反乱を受け、1886年にリヨン市でフランス全国労働組合連合会が設立されました。
- リヨン再開発地区/ La Confluence
コンフリュアンス地区は、リヨン市の南、ローヌ川とソーヌ川が合流する場所に位置し、面積は150ヘクター ルです。19世紀、工業地区としてガス工場、兵器庫、刑務所、屠殺場などが建設され、卸売市場や港市場もありました。20世紀になると、同工業地区は荒れ地となり、卸売市場も港も閉鎖されました。2002年、当時のリヨン市長がイニシアティブを取り、同地区の都市再開発プロジェクトが始動しました。同プロジェクトは3つの目的を掲げています。1. リヨン市に2つ目の都心エリアを作る
2011年から2017年まで、「リヨンスマートコミュニティ実証事業」が行われました。同事業では、日本のNEDO(国立研究開発法人 新エネルギー・産業技術総合開発機構)とリヨン・メトロポールの協定契約の下で、(株)東芝とフランスのパートナー会社が4つの実証実験を行いました。
2. リヨン市の人口と雇用者数を増やす
3. 工場跡、倉庫跡など遊休地の改修を進め、再生可能エネルギーの活用し、環境に配慮した地区とする
『 本実証事業はフランス第二の都市であるリヨン市において、NEDOとリヨン市が共同で、都市再開発に合わせて新築されるビルにおいて、PEB注(ポジティブ・エナジー・ビルディング)を達成するための関連技術を導入し、さらに情報通信技術を用いた太陽光発電遠隔監視システムや電気自動車充電・カーシェアリングシステム、及び都市再開発地域内でのエネルギー管理などの仕組みを構築するものです。』
「東芝 プレスリリース『フランス・リヨン再開発地域におけるスマートコミュニティ実証事業』の開始について」より引用 https://www.toshiba.co.jp/about/press/2011_12/pr_j1601.htm
再開発プロジェクトは現在も続いており、2025年に完成予定です。参照 : NEDOによるケーススタディ https://www.nedo.go.jp/content/100871964.pdf
- リヨンの中心街/ La Presqu'île
リヨン市の中心街はプレスキル(Presqu'île:フランス語で半島を意味する)と呼ばれています。プレスキルにはリヨン市内で一番広いベルクール広場(Place Bellecour)があります。「ロワイヤル広場」、「ボナパルト広場」、「ナポレオン広場」という名称を経て、1940年から「べルクール広場」という名称になりました。広場の真ん中にはルイ14世と、擬人化された「ローヌ川とソーヌ川」の銅像があります。また、広場の南には「星の王子さま」とその作家のアントワーヌ・ドゥ・サン=テグジュペリ – (Antoine de SAINT-EXUPÉRY)の銅像があります。サン=テグジュペリが書いた「星の王子さま– Le petit Prince」は、200以上の国と地域の言葉に翻訳され、世界中で最も販売されている小説の一つです。「肝心なことは心で見ないと見えない」という言葉も有名です。

リヨンの祈りの丘 © Pioucube - Auvergne-Rhône-Alpes Tourisme

旧市街 © Yanis Ourabah

古代ローマ劇場 © Franck Chapolard

機織機 © Maison des Canuts

クロワルースの十字架

コンフリュアンス地区のオレンジキューブ
©Jakob + MacFarlane architectes - www.b-rob.com
iv. リヨンの通りと逸話
a. 有名な通り / Les rues célèbres à Lyon- Rue Eugénie BRAZIER(ユジェニー・ブラジエ通り)リヨン1区
料理人のマダム・ブラジエは「リヨン料理の母」として有名です。ポール・ボキューズ氏もマダム・ブラジエのもとで料理を学びました。1921年に設立されたレストラン「メール・ブラジエ」は、現在ミシュラン2星を保持しています。
- Rue Clotilde BIZOLON(クロチルド・ビゾロン通り)リヨン2区
第一次世界大戦時に未亡人となったマダム・ビゾロンは、リヨン市のペラッシュ駅構内に小さな飲食店を開きました。第1次世界大戦中、フランス兵士は男らしさを意味するポワル(poilu)というあだ名で呼ばれていました。飲食店で兵士を温かく迎えていたマダム・ビゾロンは「ポワルの母」と呼ばれました。
- Rue Maryse BASTIE (マリーズ・バスティエ通り)リヨン8区
マダム・バスティエは飛行機のパイロットで、第2次世界大戦中にはレジスタンス活動を行い、女性参政権獲得運動にも尽力しましたが、1952年、リヨン郊外のブロン市において飛行機事故で亡くなりました。
- Rue Philomène MAGNIN(フィロメーヌ・マニャン通り)リヨン3区
マダム・マニャンはフランス初の老人ホーム(EPHAD)を設立し、1944年には女性初のリヨン市議会議員となりました。
- Rue Wakatsuki(若月通り)リヨン8区
若月馥次郎は1920年から1927年まで在リヨン日本領事館の副領事を務めました。若月副領事は、フランス語が流暢で多くの非営利団体の活動に取り込みました。また領事公邸に住民を招き文化交流も行いました。若月副領事は多くのリヨン市民に敬愛されたことから、リヨン8区に「若月通り」がつくられました。
- Rue Mercière (メルシエー通り)リヨン2区
1962年にフランスの文化大臣であったアンドレ・マルロー(André Malraux)がメルシエー通りの建物を改修し、保護地区としました。多くのリヨン郷土料理レストラン(Bouchon)が軒を連ね、当時、ポール・ボキューズ氏もBouchonの常連客でした。現在はレストラン街として、郷土料理だけではなく世界各国の料理を味わうことができ、観光客で賑わっています。
- Rue Vide-Bourse (ヴィド=ブルス通り)リヨン5区
フランス語で「泥棒通り」を意味するヴィド=ブルス通りには様々な伝説があり、細い道に泥棒が隠れて、通行人の財布を盗んでいたと言われています。
- Rue du Premier Film(プルミエ・フィルム通り)リヨン8区
1895年3月19日に世界で初めて映画が撮影された通りであることから、「最初の映画」を意味するプルミエ・フィルム通りと呼ばれています。
- Rue de la Fromagerie(フロマージュリ通り)リヨン1区
「チーズ屋」の意味を持つ通りです。19世紀、この通りにチーズ屋が軒を連ねていましたが、現在、チーズ屋は一軒もありません。
- Rue de la Baleine(バレーヌ通り)リヨン5区
バレーヌ通りは「クジラ通り」を意味します。中世時代から「クジラ通り」は存在し、リヨン旧市街で最も古い通りといわれています。この通りでクジラの骨が発見されたことから「クジラ通り」と名付けられました。
- Rue Garibaldi (ガリバルディ通)リヨン3, 6,7区
全長4.3kmのガルバルディ通りはリヨン市内で最も長い通りです。
- Rue Longue (ロング通り)リヨン1区
ロング通りの意味はフランス語で「長い通り」ですが、リヨン市内で一番短い通りであり、長さは50Mしかありません。

若月馥次郎と家族 © Le Progrès

リュミエール研究所 ©Brice Robert - www.b-rob.com - Institut Lumiere
b. だまし絵 / Le Trompe l'œil
- La Fresque des Lyonnais / 住所 : 2 Rue de la Martinière, 69001 Lyon
リヨン市では、街中でだまし絵を見ることができます。最も有名なだまし絵は「La Fresque des Lyonnais」と呼ばれ、リヨンの著名人36名を紹介しています。シネマトグラフを発明したリュミエール兄弟(les Frères Lumière)、小説「星の王子さま」を書いたサン=テグジュペリ(SAINT-EXUPERY)、元市長のエドゥアール・エリオ(Edouard HERRRIOT)のなどが描かれています。是非、壁に描かれた著名人を探してみてください。
- Le Mur des Canuts / 住所 : 36 Boulevard des Canuts, 69004 Lyon
クロワ・ルース地区には、ヨーロッパで最大級の1200m²の壁画「Le Mur des Canuts」があり、日常生活が描かれています。1987年に製作され、1997年と2003年に描き直されました。
- Le Mur du Cinéma / 住所 : 4 Place Gabriel Péri, 69007 Lyon
シネマトグラフを発明したリュミエール兄弟や映画の世界へ敬意を表すために「Le Mur du Cinéma」が描かれました。
- Le Théâtre des Charpennes / 住所 : 52 Rue Gabriel Péri, 69100 Villeurbanne
リヨン6区に隣接したヴィルユーバン市にも、だまし絵「Le Théâtre des Charpennes 」があります。
- Lyon en 2046 / 住所 : 106 Avenue Jean Jaurès, 69007 Lyon
リヨン7区には2046年のリヨンの様子が描かれた壁画「Lyon en 2046」があります。

La Fresque des Lyonnais
© Franck Chapolard

Le Mur des Canuts
© CitéCréation
c. リヨンの逸話 / Lyon, secrète et insolite
- テロー広場と噴水 / Les Fontaines de la Place Terreaux
リヨン市庁舎前のテロー広場には、69枚の黒いタイルと噴水があり夜にライトアップされます。タイルの数は、ローヌ県の県番号(69)に由来します。同広場には長い歴史があり、中世の時代には、防壁や堀があり、溝を意味するラテン語の« Terralia »と呼ばれていました。その後、豚を販売する市場や処刑所として使われ、18世紀からは公共広場となっています。また、同広場のバルトルディ噴水「Fontaine Bartholdi」は彫刻家オギュスト・バルトルディ(Auguste BARTHOLDI)作です。バルトルディはアメリカの「自由の女神」の製作でも有名です。噴水には女性と4頭の馬が彫刻されていますが、もともとはボルドー市のために作られたことから、女性はフランスの南西を流れるガロンヌ川、4頭の馬はガロンヌ川の4つの支流を表現しています。4頭の馬が戦車を引く姿は、フランス革命100周年を祝う「自由の戦車」も表現したと言われています。
- 大きな岩 / Le Gros Caillou
リヨン4区のクロワ・ルース地区の広場(Jardin du Gros Cailloux)には大きな岩があります。15万年前の花崗岩であり、1862年にリヨン市のケーブルカー路線を建設作業中に発見されました。
- ジャン・ムーランの秘密の夕食 / Le rendez-vous secret / 住所 :Bouchon Le Garet 7, rue du garets 69001 Lyon
1942年7月26日、レジスタンス運動指導者のジャン・ムーラン(Jean MOULIN)と歴史専門家のダニエル・コルディエ(Daniel CORDIER)が、夕食を共にしたと言われているレストランがあります。現在でも同レストランでリヨン郷土料理を食べることができます。ジャン・ムーランが座ったと言われる場所の傍に彼の肖像画が飾ってあります。
- セレスタン劇場 / Théâtre des Célestins / 住所 :4 Rue Charles Dullin, 69002 Lyon
リヨン市の中心街にあるセレスタン劇場は、もともとは修道院でしたが、1562年及び1622年の火事、ペストの影響で修道士が半数となりました。フランス革命後にも火事に2度見まわれ、再建された現在では劇場として利用されています。
- ラブレーとホテル・デュー病院 / Rabelais et Hôtel Dieu
545年頃に設立されたHôtel Dieu(ホテル・デュー)はフランス国内で最も古い病院と言われています。世界的にも有名な作家・医師であるフランソワ・ラブレー(François RABELAIS)は1562年から3年間リヨンに滞在し、ホテル・デュー病院で医療に従事しながら、「ガルガンチュア」と「パンダグリュエル」を著しました。
- ビールの都 / Lyon, capitale de la bière
ローヌ県はボジョレーワインが有名ですが、リヨン地域では中世から19世紀の終わりまで「ビールの都」とも呼ばれており、特にリヨン市の黒ビールは人気がありました。1836年、アルザス出身のジョルジュ・ホッハー (Georges HOFFHERR)がペラッシュ駅の近くにブラッスリー・ジョルジュ(Brasserie Georges)を開業しました。広い店内にはアール・デコの装飾が残っていて、19世紀の趣を感じることができます。現在も1836年から続く自家製の美味しいビールを飲みながら、シュークルットなどのフランスの伝統的な料理を味わうことができます。
- リヨンの地下道 / Les souterrains de Lyon
フルヴィエールの丘及びクロワ・ルース丘の地下には、主にローマ時代に作られた全長約40kmの地下道があります。この大きな地下道を中心に、短い地下道がたくさん建設されており、まるで「魚の骨」のような形になっています。この地下道で、多くの伝説や逸話が生まれたといわれています。現在は安全上、地下道へのアクセスは禁止されています。
- 鉄塔 / La tour Métallique de Fourvière
1894年、テット・ドール公園で国際博覧会が開催され、来場者にリヨン市の魅力を伝えるためにフルヴィエールの丘に鉄塔が建てられました。高さは80mで、フルヴィエール大聖堂の聖母マリアの銅像より35cm高く鉄塔を建設したようです。当時、塔の中には展望レストランもありましたが、リヨン市民にはあまり評価されませんでした。1953年にフランステレビ・ラジオ局に買収されました。
- 牛通り / La rue du Bœuf
リヨン旧市街には「牛通り」があり、牛通りの角には闘牛が彫刻されています。1820年頃、同通りには約150の絹織物工房があり、約300の織機が設置されていたようです。現在はミシュラン星付きのレストランが軒を連ね、日本人シェフによる1つ星のレストランもあります。
- テット・ドール公園 / Parc de la Tête d’Or
1856年にスイス人の造園家によってつくられたテット・ドール公園内には、湖、動物園、植物園などがあります。テット・ドール(フランス語で「金色の頭」)の名前は、「金色のキリストの頭の像が公園に埋められていた」という伝説に由来するそうです。
- イル・バルブ / Ile Barbe
リヨン市の北にイル・バルブ(Ile Barbe)と呼ばれる、ソーヌ川に浮く小島があります。フランス語で« Barbe »は長いあご髭を意味します。小島には1742年まで修道院があり、ドルイド(ケルト人の祭司)や修道士が住んでいました。ドルイドは長いひげを生やしていたことから、この島はイル・バルブと呼ばれるようになったそうです。

バルトルディ噴水 © Krom Galerie

ジャン・ムーラン

セレスタン劇場 © Tristan Deschamps

ブラッスリー・ジョルジュ
© C. Delpal - AuRA Tourisme

イル・バルブ
© ONLYLYON Tourisme et Congrès

テット・ドール公園 © Yanis Ourabah
v. リヨンの方言
- Une gâche(ガッシュ)
意味 : 駐車スペース
例 : Il n’y a pas de gâche ! (イル・ニャ・パ・ドゥ・ガッシュ)駐車スペースがありません。
- Un gone(ゴーヌ)
意味 : (リヨンの)子供
例 : Quand j’étais gone, j’étais gros.(カン・ジェテ・ゴーヌ・ジェテ・グロ)子供の時は、太っていました。
- Une fenotte(フノット)
意味 : 女性・奥さん
例 : Ma fenotte est belle(マ・フノット・エ・ベル)私の奥さんは綺麗です。
- Une bugne (ビューニュ)
意味 : パリッとした食感の薄い長方形のリヨンのお菓子
例 : Les bugnes, c’est bon !(レ・ビューニュ・セ・ボン)ビューニュは美味しいですよ。
- Un cagnard (カニャール)
意味 : とても暑い
例 : Quel cagnard !(ケル・カニャール)すごく暑い!
- Un pot(ポ)
意味 : 瓶
例 : Un pot de rouge s’il vous plait !(アン・ポ・ド・ルージュ・シ・ル・ヴ・プレ)(瓶に入った)赤ワインを一本お願いします
注:瓶のことをリヨンでは« Pot »と言いますが、パリでは « Pichet »と言います。potとpichetによって容量が異なります(Pot : 46cl、Pichet : 50cl)。19世紀頃、リヨン市の絹織機工房の労働者は雇用者から50clのワインをもらう権利がありました。しかし雇用者は自分が1杯分(4cl)を飲めるようにわざと50clを46clに減らした厚底の瓶を作ったと言われています。ちなみに25clのボトルはリヨンで « Fillette »と呼ばれています。
- C’est quelle heure ? (セ・ケル・ルー)
意味 : 今、何時ですか 。
例: C’est quelle heure ?(セ・ケル・ルー)
注:文法的に正しい言い方は « Quelle heure est-il ? »ですが、 « C’est quelle heure ? »を使うリヨン市民もいます。
vi. リヨンで有名な日本人
- 福澤 諭吉(ふくざわ・ゆきち) 1835年-1901年
1858年に「日仏修好通商条約」が締結され、1862年に徳川幕府の訪欧使節団が初めてヨーロッパを訪れました。日本からヨーロッパへの渡航には3か月かかったと言われています。使節団は、マルセイユーリヨンーパリのルートでフランスを訪問し、約1年間、西洋文化について研究しました。使節団の一員として、若き福澤諭吉もリヨンを訪問しています。オランダ語も英語も流暢な福澤諭吉は通訳を務めていました。
- 永井 荷風(ながい・かふう) 1879年-1959年
作家・永井荷風は、20世紀の東京の風景や芸者の世界について多くの作品を書きました。荷風はエミール・ゾラやモーパッサンからインスピレーションを受けたと言われています。アメリカ滞在時に「あめりか物語 - Histoires américaines」を書き、1908年、銀行員としてリヨンに赴いた荷風は、働きながらフランス滞在をまとめた「ふらんす物語 – Histoires françaises」を執筆しました。荷風はリヨン6区のPlace Edgar Quinet近くに住んでいたようです。
- 遠藤 周作(えんどう しゅうさく) 1923年-1996年
1934年から母によるカトリック教の教育を受けていたため、彼の作品からはカトリック教の影響をみることができます。慶應義塾大学でフランス文学を勉強し、1955年に「白い人」で芥川賞を受賞しました。1950年、フランスのカトリック文学を更に学ぶため、リヨン大学に入学しました。1950年から1952年の春までリヨン2区の « rue du plat »に住んでいました。遠藤の作品の多くはフランス語に訳され、映画にもなっています。有名な作品として「海と毒薬」(La Mer et le Poison)や「沈黙」(Silence)があります。

福澤諭吉

永井荷風

遠藤周作
vii. Q&A
- ベルクール広場のルイ14世の銅像の特徴は何ですか。
彫刻家レモーによって作られたルイ14世の銅像には「鐙」がありません。レモーは「鐙」を製作し忘れたことで、自殺したという説もあります(実際には自殺していないようです)。
- なぜリヨンのサラミは「JESUS(イエス・キリストの意味)」と呼ばれているのですか。
昔からリヨン市では、クリスマスの際にイエスの誕生を祝うために、豚の一番美味しい肉の部分を使ってサラミを作っていました。そこで、このサラミは「JESUS」とよばれるようになりました。
- ジャカード ・セーター(Pull Jacquard)はリヨンと関係があるのですか。
ジャガード・セーターは1801年に織機を発明した、リヨン生まれのジョゼフ・マリ・ジャカールに由来しています。 この自動織機は複雑な模様を効率的に織ることができ、革命的な発明となりました。
- なぜリヨン市民は毎年3月19日にリュミエール研究所に集まるのですか。
1895年3月19日にリュミエール兄弟によって撮影された「工場の出口 – La sortie de l’usine Lumière」を記念して、毎年3月19日にリュミエール研究所の前にリヨン市民が集まります。毎年、リュミエール研究所で「工場の出口」のリメイク作品が撮影され、多くのリヨン市民が参加します。
- だまし絵「La Fresque des Lyonnais」にはリヨンの著名人が何名描かれていますか。
合計で30人です。ご存命で活躍されている方はうち2人(M. Bernard PIVOT(ジャーナリスト)、M. Bertrand TAVERNIER(リュミエール研究所長))です。
- ポール・ボキューズの本店レストランは、何年間ミシュランガイドの3つ星を保持していましたか。
レストラン・ポール・ボキューズは1965年から2019年までの54年間、ミシュランガイド3つ星を守り続けました。3つ星連続保持期間の世界最長記録です。
- リヨンの人形劇、ギニョールを作った人の職業は何でしたか。
ギニョールの生みの親、ローラン・ムルゲ(Laurent MOURGUET)は抜歯専門医でした。ムルゲは、抜歯の際に患者が怖がらないように人形を作り、1808年に有名なギニョールが誕生しました。
- クロワ・ルース地区の栗祭り(Vogue des marrons)は、いつから開催されていますか。
150年以上前から、クロワ・ルース地区では毎年10月から11月11日まで栗祭りが開催されています。
- リヨンの郷土料理レストラン(Bouchon)で、マション(Mâchon)が食べられるのはいつの時間帯ですか。
朝の早い時間です。昔、絹職人は朝早くに仕事を終え、朝からリヨンの郷土料理を食べ、ボジョレーやマコン地方のワインを飲んでいました。
- リヨンの通貨は、いつ作られましたか。
リヨン市の独自の通貨はゴネット(Gonette)と呼ばれ、2015年に作られました。現在でも市内のお店で使用することができます。
参照: https://www.lyon-france.com/Je-decouvre-Lyon/comme-un-lyonnais/les-10-anecdotes-sur-lyon-a-connaitre-pour-briller-pendant-les-diners
日系企業マップ
※以下の条件を満たしている企業を『日系企業マップ』に掲載しています。
1 本邦企業が100%出資した現地法人、本社または支社
(合弁企業、レストラン、個人事業主は含まない。)
2 オーヴェルニュ・ローヌ・アルプ州に所在する企業
3 従業員数が50名以上の企業
(アルファベット順)
会社名 | 投資企業 | 所在都市 | 事業内容 | |
---|---|---|---|---|
1 | AGC Vertal Sud-Est | 旭硝子株式会社 | (69) Saint-Priest サン・プリエスト | フラットガラスの加工・販売 |
2 | ARRK | アーク株式会社 | (74) Alby-sur-Chéran アルビ・シュル・シェラン | 金型の設計 |
3 | Bandai Namco Entertainment Europe | 株式会社バンダイナムコエンターテインメント | (69) Lyon リヨン | ビデオゲームソフト等の企画開発・販売 |
4 | Canon Fac-Similé Rhône-Alpes 3H Distribution | キャノン株式会社 | (69) Bron ブロン | 事務機器の販売・サービス |
5 | Daikin Airconditionning France | ダイキン工業株式会社 | (69) Bron ブロン | 空調機器の販売 |
6 | Daikin Chemical France | ダイキン工業株式会社 | (69) Pierre-Bénite ピエール・ベニット | 化学製品、フッ素系のゴムの製造 |
7 | Desgranges Outils Coupants | オーエスジー株式会社 | (42) Andrézieux-Bouthéon アンドレジュ・ブテオン | 産業用切削工具の製造 |
8 | Fuji Electric France SAS | 富士電機株式会社 | (63) Clermont-Ferrand クレルモン・フェラン | 圧力発信器・インバータ・ガス分析装置の製造・販売 計測機器の校正、修理、保守点検、技術研修 計測・電気機器製品の販売 |
9 | Iseki France | 井関農機株式会社 | (63) Aubière オービエール | 農業機械の販売 |
10 | JTEKT EUROPE / JTEKT AUTOMOTIVE LYON | 株式会社ジェイテクト | (69) Irigny イリニー | ステアリング‧ベアリングの開発・製造・販売 |
11 | Miyoshi Europe | 三好化成株式会社 | (69) Saint-Priest サン・プリエスト | 化粧品原料の製造・販売 |
12 | NTN-SNR Roulements | (74) Annecy アヌシー | 自動車・一般産業機械用軸受の製造開発・販売 | |
13 | Pilot Corporation of Europe | 株式会社パイロットコーポレーション | (74) Allonzier-la-Caille アロンジエ・ラ・カイユ | 筆記具の製造・販売 |
14 | Riso France | 理想科学工業株式会社 | (69) Lyon リヨン | デジタル印刷機「リソグラフ」とオフィス用のインクとジェットプリンターの製造・販売 |
15 | Sumitomo Chemical Agro Europe | 住友化学株式会社 | (69) Saint-Didier-au-Mont-d’Or サン・ディディエ・オ・モン・ドール | 農薬の登録・販売 |
16 | Tokai Carbon Savoie | 東海カーボン株式会社 | (73) La Lechère ラ・ルシェール | 炭素製品の製造 |
17 | Toray Films Europe | 東レ株式会社 | (01) Saint-Maurice-de-Beynost サン・モリス・ドゥ・ベノ | ポリエステル/ポリプロピレン・フィルムの製造・販売 |
18 | Toshiba Centre Est Méditerranée | 東芝テック株式会社 | (69) Lyon リヨン | 書類のデータ化 |
19 | UCC Coffee France | ユーシーシー上島珈琲株式会社 | (26) Valence ヴァランス | コーヒーと紅茶の加工・製造 |
20 | Yusen Logistics | 日本郵船株式会社 | (38) Saint-Quentin-Fallavier サン・カンタン・ファラヴィエ | 物流業(倉庫、陸・海・空輸送)・輸送通関代行業 |