リヨン・メトロポール概要
令和7年9月30日
基本情報
- リヨン・メトロポールの構成 58コミューン(自治体)
- 人口 約140万人(オーヴェルニュ・ローヌ ・アルプ州の17,5%)
- GDP 973億ユーロ(2021年)(オーヴェルニュ・ローヌ ・アルプ州の33.4%)
- 政治
- ● リヨン市長: Grégory DOUCET(グレゴリー・ドゥセ)、環境(Les Écologistes)所属、2020年7月~
- ● リヨン・メトロポール議長: Bruno BERNARD(ブルーノ・ベルナール)、環境(Les Écologistes)所属 、2020年7月~
- ● その他の主な政治グループ: - ポジティブなメトロポール(La Métro Positive) - 社会党、社会左派、行動を共にするエコロジー(Socialistes, la gauche sociale et écologique et apparentés) - 進歩、共和(Progressistes et républicains) - 議員と市民のシナジー(Synergies Elus et Citoyens)
- ● 議員数: 150人
経済
- 主な産業
- ● 工業
リヨン・メトロポールは、工業分野における企業の新規設立数、投資額及び拠点数においてフランス最大の工業都市圏で、この部門には80,500人が従事しています(2022年末時点)。リヨンでは2年ごとに工業見本市「グロバール・インダストリー(Global Industrie)」が開催されており、スマート技術、エレクトロニクス、エネルギー、ロボット、金属工学等の関連企業約2,500社が出展しています。また、リヨン・メトロポール及びサンテティエンヌ・メトロポールは初期投資ファンド(Fonds d’amorçage industriel métropolitain : FAIM)を通じて、工業部門でインパクトのあるスタートアップ企業に投資を行っています。 - ● 化学・環境
化学・環境部門には16,200人が従事しています(2022年末時点)。リヨン・メトロポール南部にはフランス最大の化学工業地域「ケミカル・バレー(Vallée de la Chimie)」があり、約500社の化学関連企業で14,200人が勤務しています(2021年)。ケミカル・バレーには7つの研究開発センターがあり、毎年1,000件以上の特許を申請しています。
リヨン・メトロポールでは2020年から、エコロジカルな社会への転換が進められています。特に、リヨン南部のコンフリュアンス(Confluence)地区では、環境未来都市の構築をめざす多くの企業が、ケミカル・リサイクルを含む廃棄物処理ソリューション、省エネルギー改修、脱炭素化や低炭素型モビリティのサービス等を提供しています。
また、リヨン・メトロポールでは、大気汚染とヒートアイランド対策のために、通常の植樹よりも成長速度が速く、丈夫に成長するとされる「宮脇方式」という植樹方式が採用されています。 - ● 照明
照明産業には、14,440人が従事しています(2022年末時点)。リヨン照明産業センター「ルーメン(LUMEN)」はリヨンの中心部に位置し、照明業界の集積及び発展に関わる研究・教育を行っており、関連企業が同センターに入居しています。 - ● モビリティー
モビリティー産業には50,440人(2022年末時点)が従事しています。特に、自転車及び低炭素型モビリティー関連分野は、資源保護や安全で健康的な社会への移行を目指す戦略的セクターと位置付けられており、リヨン・メトロポールはマイクロ・モビリティに取り組むフランス最大の大都市です。この分野では360社で約1,500人が従事しています。
リヨン・メトロポールの自動車産業は19世紀に発展し始め、20世紀初めには130社以上の自動車関連企業が所在していました。現在、リヨンの自動車産業は、エンジン、車体、エレクトロニクスの製造と販売を強みとし、エネルギー転換の課題に直面する中、より環境に優しい自動車の開発が進められています。リヨン・メトロポールの所在するオーヴェルニュ・ローヌ・アルプ州では欧州連合(EU)から財政支援を受けた「ゼロ・エミッション・バレー(Zero Emission Valley)」プログラムで、水素自動車の普及促進や水素充電ステーションの導入を計画しています。 - ● 食品
リヨン・メトロポールは自然資産を住民の共有財産として、持続可能な地域農業への移行と質の高い食料へのアクセスを目指し、食料戦略を策定しています。食品卸及び加工分野では10,350人が従事しています(2019年末時点)。リヨンは「美食の都」として知られており、5,300軒以上のレストランがあります。リヨンは欧州最大級の国際外食産業見本市(SIRHA)を開催しており、同見本市においてボキューズ・ドール国際料理コンクールや洋菓子世界大会(クープ・デュ・モンド・ドゥ・ラ・パティスリー)が開催されます。 - ● 繊維
リヨンには、絹をはじめ、皮革やレース等を含む繊維産業の長い歴史があります。自動織機「ジャカード織機」は、1801年にリヨンの発明家ジョゼフ・マリー・ジャカール(Joseph-Marie Jacquard)によって発明されました。現在、リヨンには 880社(2020年末時点)の繊維関連企業が所在し、約2,060人(2022年末時点)が従事しています。リヨンで隔年で開催される「シルク・イン・リヨン(Silk in Lyon)」には世界中から企業や自治体等が出展しています。 - ● デジタル
リヨン・メトロポールはスタートアップ企業数においてフランス第2位のデジタル産業地域です。リヨンのデジタル産業には約57,300人が従事し、約1,000社のスタートアップ企業が所在しています(2022年末時点)。特に、リヨン市のジェルラン(Gerland)やヴェーズ(Vaise)地区には、多くのデジタル関連企業がフランス国外から進出しています。また、リヨンにはデジタル分野の高等教育機関50校、25の研究所及び20のインキュベーターがあります。オーヴェルニュ・ローヌ・アルプ州の施設「*デジタル・キャンパス(Campus Région du Numérique)」では、デジタル分野の企業や学生による交流や企業のデジタル化の支援等が行われています。
*地域の全ての企業のDX、GXを支援しており、キャンパスは年中無休、学費無料、教員はおらず、入学に際し18歳以上であれば年齢制限もない。 - ● ヘルス
リヨン・メトロポールはフランス第2の医療産業地域です。ヘルス関連では約16,000社(2020年末時点)で、80,900人が雇用されいます(自営業者を含む)。リヨンには、ヘルス関連の集積地が2カ所あり、バイオ医薬品、免疫感染症学、神経科学、腫瘍学、美容皮膚科学などの研究機関が数多く所在しています。1965年にリヨンに設立された国際がん研究機関(IARC)では、50カ国以上からの研究者360人が、がんの国際共同研究を行っています。また、世界保健機関(WHO)アカデミー、国際獣医公衆衛生センター(HUB VPH)、国際感染症研究センター(CIRI)などあります。 参考:ONLYLYON & CO
- ● 工業
- リヨン・メトロポールにおける日本企業数:138社
日本との関係
- 歴史
日本とリヨン市の関係は歴史が長く、江戸末期まで遡ります。ナポレオン3世の統治下、リヨン市は「絹の都」として栄えましたが、1855年に流行した蚕の病気により、フランスの養蚕農家は壊滅状態になりました。その際、江戸幕府から蚕卵が送られたことによってフランスの絹産業は復興し、リヨン市の絹織物業者は、蚕と生糸を日本から輸入するようになりました。これをきっかけに、日本とリヨン市の交流が活発になり、その後、近代化が始まった日本にフランスから多くの技術が伝わりました。1871年、明治政府は、オーヴェルニュ・ローヌ・アルプ州生まれのエンジニアであるポール・ブリュナ氏に富岡製糸場の建設を依頼した他、京都西陣織にリヨンの織物技術が活かされるなど、絹及び絹織物は日仏関係の黎明期において重要な役割を担いました。なお、日本とリヨンの間の友好関係を象徴する富岡製糸場は、2014年6月にユネスコ世界遺産に登録されました。 - 姉妹都市交流
1959年に、横浜市とリヨン市は姉妹都市提携を締結しました。2019年、姉妹都市提携 60 周年を記念し、荒木田横浜副市長(当時)がリヨン市を訪問し、桜の植樹式が開催されました。
- 人物
- 福澤 諭吉(ふくざわ・ゆきち) 1835年-1901年
福澤諭吉は、1862年に徳川幕府が派遣した訪欧使節団の一員として、リヨンを含むフランスを訪れています。 - 永井 荷風(ながい・かふう) 1879年-1959年
永井荷風は、1908年に、銀行員としてリヨンに赴任し、フランス滞在をまとめた「ふらんす物語 – Histoires françaises」を執筆しました。永井荷風はリヨン6区のPlace Edgar Quinet近くに住んでいました。 - 若月 馥次郎(わかつき・ふくじろう) 1881年-1927年
若月馥次郎は、1920年から1927年まで在リヨン日本領事館の領事を務めました。若月領事は、多くの非営利団体の活動にかかわるとともに、公邸に市民を招き文化交流を行いました。リヨン8区には、「Rue Wakatsuki」(若月通り)があります。 - 遠藤 周作(えんどう・しゅうさく) 1923年-1996年
遠藤周作は、慶應義塾大学でフランス文学を学び、フランスのカトリック文学をさらに学ぶため、1950年にリヨン大学に入学しました。作品の多くがフランス語に訳され、映画化されています。遠藤周作はリヨン2区Rue du Platに住んでいました。