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最近の行事報告

  • リヨン領事事務所活動報告(平成27年2月6日号【第9号】)

     

     在リヨン領事事務所長の小林龍一郎です。

     我が国は、年明けから、あまりにも重すぎる事件に直面した上、残虐卑劣な結果を押しつけられました。私自身、人命を一顧だにしないISILの愚劣野蛮な行為に、しばらく言葉を失ってしまいました。この悲劇に触れずして、活動報告は書けず、筆を執るための心の整理に時間を要しました。総理のお言葉にすべてが凝縮されていますので、ここで再度総理声明を掲載させていただきます。謹んで、被害に遭われた方の御冥福を心からお祈り致します。

         
       

      シリア邦人拘束事案に関する新たな内閣総理大臣声明
      (平成27年2月1日)

      1 湯川遥菜さんに続いて,後藤健二さんが殺害されたと見られる動画が公開されました。御親族の御心痛を思えば,言葉もありません。政府として,全力を挙げて対応してまいりました。誠に無念,痛恨の極みであります。

      2 非道,卑劣極まりないテロ行為に,強い怒りを覚えます。許しがたい暴挙を,断固,非難します。テロリストたちを絶対に許さない。その罪を償わせるために,国際社会と連携してまいります。

      3 日本が,テロに屈することは,決してありません。中東への食糧,医療などの人道支援を,更に拡充してまいります。テロと闘う国際社会において,日本としての責任を,毅然として,果たしてまいります。

      4 このテロ行為に対して,強い連帯を示し,解放に向けて協力してくれた,世界の指導者,日本の友人たちに,心から感謝の意を表します。

      5 今後とも,国内外における国民の安全に万全を期してまいります。

         
          

     2015年1月後半からの当事務所活動報告を以下のとおり述べさせていただきます。

     1月15日(木)は、今月2回目となるクレルモンフェラン方面への出張でした。ピュイ・ドゥ・ドーム県議会庁舎を訪問の上、グットゥベル議長を表敬致しました。その後は、県の観光局の御案内でピュイ・ドゥ・ドームに初登頂致しました。

     グットゥベル議長のお部屋からは、ピュイ・ドゥ・ドームの全貌が目の当たりにできました。その美しさに見とれておりましたら、グットゥベル議長が、実はと話を持ち出されたのが、ピュイ・ドゥ・ドームと富士山の連携の提案でした。ピュイ・ドゥ・ドームは2016年のユネスコ世界遺産登録を目指して目下精力的に活動中とのこと。

     私は、日本の富士山は、単なる山ではなく、古来より霊峰して信仰の対象であり、1872年までには女性は登山が許されず、現在でも8合目から上は浅間神社の境内だという説明をしました。そうしますと、グットゥベル議長は、にやっと笑い、正にそれはピュイ・ドゥ・ドームと同じだ、山頂には、1875年にローマ神殿が発見され(Temple de Mercure)、現在土台部の復旧工事が行われており、ローマより古くはガリア人の南端の領地として、ここピュイ・ドゥ・ドームも特別な山として崇められていたという説明をされました。

     確かに、ピュイ・ドゥ・ドームは、山頂に登りますと眼下に約80の火山口が点在する独特の景観で、標高1464mの単なる山ではないことはよく理解できました。今秋には修復(土台部のみ)が完成する予定の山頂のローマ神殿は、多くの巡礼者にとっての聖地であり、この地方の最大の宗教施設として機能していたようです。また、1848年パスカルが、ピュイ・ドゥ・ドーム山頂で、大気圧の測定を史上初めて行い、その結果、今でも気圧の単位は「パスカル」になっています。現在でも仏における気象観測拠点となっており、福島原発事故の際に、大気中にある微量放射能を観測したのも、このピュイ・ド・ドーム気象観測所だそうです。2012年には、中腹から山頂まで登山電車が開通し、自家用車による山頂までの立ち入りを禁じ、環境保護に努めています。

    (写真左:グットゥベル議長と ©Conseil Général du Puy-de-Dôme )
    (写真右:ピュイ・ドゥ・ドーム山頂にて、左手は観測所、右は電波塔です)

     続いて、クレルモンフェラン近郊にあるボルヴィック市を訪ね、ハムム・ボルビック市長と懇談し、同市観光局で開催される、合谷哲哉氏(JANA)の折り紙作品展の開幕式典に出席させていただきました。

     ボルヴィックは、ミネラルウオーターの出水地として世界的に有名な場所ですが、それも、ピュイ・ドゥ・ドームの火山岩による天然の濾過と大地から染み出すミネラル成分のなせる業であり、特にボルヴィックは軟水成分であり、日本の水に近く、フランス在住の日本人には多く親しまれているようです。お米を炊くときにはボルヴィックを使うというのは、研修生の頃からの知恵であります。

     ボルヴィック市長と話をした際に、水も十分有名であるが、さらに有名なものとして「ボルヴィック石」と呼ばれる粗面安山岩に属する火山岩石を紹介しておられました。ボルヴィック石は、ボルヴィックの採石場で今でも採石されており、古くはこの石を使ってクレルモンフェランのノートルダム教会は作られました。その教会は「黒いノートルダム」として市民に親しまれています。

     市長の御案内で市庁舎及び市内史跡を訪ねた後、いよいよ、合谷哲哉氏の作品展に出席しました。合谷さんは、既に本活動記録でもしばしば登場いただいているので詳しい説明は必要ないと思いますが、フランスと日本の伝統的な紙を利用しながら一枚の紙を鋏や糊を使わず、立体的な動物等を作り上げる手法で、その質感といい作品の表情といい、見事の一言に尽きます。多くのボルヴィック市民に集まっていただき、見事な作品の数々を見学していただきました。お客様からは日本の文化をこうしてボルヴィックのような小さな市にまで紹介して頂けることに対する感謝の言葉と日本文化の深遠さへの感嘆の言葉を繰り返し頂戴しました。

     

    (写真左:ハムム・ボルビック市長との会談の様子)  
    (写真右:左からローラン観光局長、小林、合谷哲哉さん、合谷麻容子さん、ハムム・ボルビック市長)

     1月16日(金)昨年12月19日に正式にオープンしたコンフリュアンス博物館を視察しました。

     コンフリュアンス博物館は、リヨン市が現在最も力を入れている再開発地域であるコンフリュアンス地区を代表する建物の一つであります。この斬新な建物は、「クリスタルの雲」(Nuage de Cristal)と名づけられ、オーストリアのコープ・ヒンメルブラウの設計によるものです。コープ・ヒンメルブラウは、最近ではブローニュの森(パリ)にあるLVMH現代美術館の設計も手がけました。

     なお、「コンフリュアンス」という言葉は、フランス語で「合流」とか「出会い」といった意味があるのですが、これはこの地区がソーヌ川とローヌ川の合流地点にあることから名づけられたそうです。男性名詞のローヌ川と女性名詞のソーヌ川がリヨンで一つになって、男性名詞のローヌ川になって地中海に注ぐわけですが、なんで男性のローヌになるのだという馬鹿な質問(question bete)をしたところ、川の大きさでla riviere(川)かle fleuve(大河) かの違いだけだよとあっさり返答されました。

     コンフリュアンス博物館は、自然史博物館であって、中には恐竜の化石、動物の標本や剥製、民族的な作品などがぎっしり展示されています。オープニング記念展示会ということで、所蔵コレクションであるギメ美術館の展示会が行われておりました。ギメ美術館と言えば、パリのイエナにあるギメ美術館を思い出しますが、大本はリヨンにございます。

     エミール・ギメの父、ジャン・バチスト・ギメは、ギメブルーという青色の染料を開発して財を得ました。染料は、リヨンの主要産業である絹織物の発展の中開発が進み、今でも多くの化学プラントがあるのはその名残です。裕福なエミール・ギメは日本、中国、インドを旅行し、数々の美術品をリヨンに持って帰り、1879年にリヨン第6区にギメ美術館を開館。その後、1889年全く同じ設計の建物をパリに建築しギメ東洋美術館として国家に寄贈しました。ギメ美術館には、若かりし頃のジャック・シラク大統領も通われ、中国文化やがて日本文化を敬愛するようになったという話もございます。

    (写真左:コンフリュエンス博物館の全容です)
    (写真右:左から、小林、ラフォン=クチュリエ・コンフリュエンス博物館館長、アジアコレクション担当のエモンスさん)

    (写真:エミール・ギメが日本各地を旅行したときに外務省が出した通行許可証の原本です。1876年9月1日に発給されたことが解ります。)

    (写真左:ギメコレクションの一つ)
    (写真右:これが、ギメブルーと言われる、青色染料です。)

     1月17日(土)、合気道小林裕和派のコニャール師範のお誘いで、お弟子の方々と夕食を共に懇談会を行いました。

     コニャール師範は、柔道、空手、合気道を極められた武道の達人で、合気道の世界では有名な故・小林裕和先生の弟子として1973年より仕えられ、現在小林裕和氏の流派の正統継承者として、母国フランスを中心に世界各国で弟子の育成に努めておられます。

     私も武道を生涯の生きがいとしてたしなむ者でございますが、食事会場に到着してまず驚かされたのが、屈強な弟子たち5名が寒風の中コートも着用せずネクタイ姿で屹立して私を出迎えてくれたことです。この時点で、コニャール師範の弟子の指導は日本の武道そのものであると思いました。レストランに入りますと、全員が起立して直立不動、こんにちはと声をかけますと、全員が「こんにちは」と返してくれました。どの方がこれだけの教育をされた方なのだろうと周囲を見回しましたら、その中で一人温厚そうに笑顔を湛える紳士がおられ、その方がコニャール師範でありました。この時点で私は一本負けを期しました。

    それまでは、世界中に武道は広まりましたが、日本の武道の道場にある、あのピンと張り詰めた緊張感と異様な威圧感のある雰囲気は、日本以外ではなかなか体験できないと思っておりました。例外的には唯一パリの青坂寛先生が率いる少林寺拳法の道場は正にそういう雰囲気でありました。彼らの礼儀正しく、優しさと強さを兼ね持つ武の心を実践できているフランス人の集団を見て、日本に里帰りしたような気がしました。

    (写真:コニャール師範とその弟子たち。)

     1月24日(土)ローヌ県柔道連盟鏡開式に招待されたので行って参りました。

     フランスの自治制度は大きく分けて、国家・州・県・市(コミューン)と分かれております。柔道はフランスで最も人気を獲得している競技で、競技人口も世界一です。フランス国立柔道連盟の傘下にそれぞれの地方が連盟を設け、柔道場は小さなコミューンに行ってもあります。90%の小学生が柔道を習っているというのも強ち大げさなことではありません。

     ここまで普及した理由には幾つかあるのですが、たまたま2015年2月5日付の毎日新聞で国家資格制度について取り上げていましたので、紹介致します。「フランスが柔道大国となった要因の一つはスポーツ指導者の国家資格制度だ。ほとんどの競技で国家資格が必要で、柔道では55年に導入された。受験資格は18歳、二段以上で事前研修修了者。代表監督に必要な上級では1200時間の事前研修が求められる。」「制度はスポーツ省の監督下にあり、厳格に管理、運用される。研修で教育論、コーチング法が徹底して指導され、試験で指導者としての能力や資質が見極められることで暴力ゼロを実現している。」ということです。フランスの社会制度と講道館柔道の秩序とをうまく両立させていると思いました。

    (写真左:日本を代表して、昇段した柔道家に記念品を授与しました。)
    (写真右:レベルの高い柔道の演武)

    (写真左:ジェラール・アルノー氏が率いる、居合道「リヨン桜会」の演武です。)
    (写真右:左がローヌ県柔道連盟ジェラール・ディローロ会長、小林、ローヌ県オリンピック委員会ジルベール・ラモット副会長)

     1月25日(日)には、今月3回目となるクレルモンフェラン出張で、クレルモンフェラン日本人会(いちご会)の新年会に出席して参りました。ビアンキ・クレルモンフェラン市長以下、同市の幹部の面々も御出席頂き、大いに盛り上がりました。ビアンキ市長は日本が大変お好きだそうで、お雑煮をおかわりしてお食べになっておられました。皆様準備に携わってこられた方、本当にお疲れ様でした。短い滞在でしたが、とても温かい雰囲気に感動致しました。

    (写真左:挨拶をする小林所長。© Justine EMARD)
    (写真右:挨拶をされるビアンキ・クレルモンフェラン市長。© Justine EMARD)

    (写真左:お雑煮に舌鼓をうつゲストメンバー、左端は富士電機フランスの三田副社長、今回はクレルモンフェラン日本語補習校のために、富士電機様から補助金を供出して頂きました。ありがとうございました。子供たちの笑顔があるのは皆様のおかげです。© Justine EMARD)
    (写真右:ビアンキ市長(中央)と櫻井いちご会会長(右)です。お疲れ様でございました。© Justine EMARD)

    (写真左:楽しい会の様子。© Justine EMARD)
    (写真右:日本文化紹介、楠日本語補習校校長による茶道のお点前もありました。© Justine EMARD)

     1月28日(水)2年に1度当地で行われる、食料見本市「シラー」を視察して参りました。

     コンペティションでは、パティシエ部門で我が日本チームが堂々の第2位を獲得しました。関係者の方々には心よりお祝い申し上げます。和食に関する関心は高く、広島等各地の日本酒地酒コーナー、徳島のお野菜、そして外国人にも食べやすく開発された納豆の紹介、フォアグラのソテーと和えて試食させていただきましたが、そのマリアージュの見事さに感嘆の声を上げました。リヨンは、食の都と称されるグルメの町でございますが、既に2名の日本人シェフがそれぞれフレンチレストランでミシュランの一つ星を獲得されておられます。

     遙か昔、辻静雄氏が、ポールボキューズ氏を日本に招待され、日本の懐石料理を紹介、小皿の上で咲く花のような和食の色彩にポールボキューズは大いに触発され、今のヌーベルキュイジーヌに至ったとお聞きしました。日本の魅力は丁寧さにあり、食材を栽培される方も、実際に料理を作られる方も、同じ丁寧さで、それを食される方の思いを忖度しながら、日本のお料理はできあがってまいります。まさに日本文化の一つの象徴であって、フレンチの世界に活動の場所を移しても、その哲学は脈々と引き継がれているのであり、一皿一皿に込められた職人の思いを味わうのが日本のお料理の食べ方なのでしょう。

    (写真左:森永牛乳配給(株)のブースで「かりんとう饅頭」をイグリさんと)
    (写真右:納豆の粘りを減らした新製品を茨城納豆のブースで試食)

    (写真左:広島県のブースで日本酒を。最後に一部日本酒を領事館に寄贈して頂きました。外交業務にしっかりと使わせていただきます。後刻茨城の白菊様からも御提供頂きました。)
    (写真右:見事パティシエ部門で2位を獲得した日本チーム ©LeFotographe )

     2月4日(水)、岩手にある久慈ファームが、リヨンのソーセージ会社のSIBILIAに3週間技術研修生を派遣しております。今日は、リヨンの常設市場レアール・ドゥ・ポール・ボキューズのSIBILIAを訪問し、マダムに研修受け入れの御礼とご挨拶をさせていただきました。レアールのSIBILIAに参りましたら、日本の国旗がいたるところに掲げられておりとてもうれしく思いました。

     ソーセージはフランス語ではシャキュトリーと言いますが、リヨンはまたその本場であります。SIBILIAの創業は1925年、熟練の技術で作り出されるシャキュトリーは、グルメなリヨンっ子の胃袋を満足させ続けて90年になります。 この味に魅せられた久慈ファームは、初めてリヨン老舗店で技術研修を受けることを決意しました。SIBILIAの工場で働く下斗米康宏さんを、さっそく激励に参りました。想像している以上に近代的な設備と徹底的な衛生管理で作られるソーセージたちはどれもこれもが美味しそうに見えました。

    (写真左:左からブリュノ・ブラウンザー現オーナー、コレット・シビリア元オーナー、小林)
    (写真右:極上のソーシッソンに思わず顔がほころびます。)

    (写真左:SIBILIAの加工工場で研修中の下斗米康宏さん)
    (写真右:左から、本件の功労者アルフェリスの佐藤大輔さん、中央小林)

     2月4日(水)には、ジャン・ジャック・ケイランヌローヌ=アルプ州議会議長を表敬し、2月6日(金)ジャン=ポール・モーデュイ・ローヌ=アルプ州商工会会頭をそれぞれ表敬しました。リヨン地域での主だった方へのご挨拶はこれでとりあえず全て行ったことになります。これから築いた人脈をフルに活用して、活発で、元気な外交を展開していきたいと思っております。2015年もがんばります!

    (写真:ケイランヌ・ローヌ=アルプ州議会議長と)

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  • リヨン領事事務所活動報告(平成27年1月15日号【第8号】)

     

     在リヨン領事事務所長の小林です。7日から仏全土を震撼させたテロ事件では、多くの尊い命が犠牲になりました。心から犠牲となった方々の御霊の安らかなることをお祈り申し上げます。

    安倍総理大臣発オランド仏大統領宛メッセージ(2015年1月8日発出)
    パリで発生した銃撃テロ事件により、多数の死傷者が出たとの報に接し、大きな衝撃と憤りを禁じ得ません。このような卑劣なテロは如何なる理由でも許されず、断固として非難します。ここに日本国政府及び日本国民を代表し、全ての犠牲者及びその御家族の方々に心から哀悼の意を表すると共に、負傷者の方々に心からお見舞い申し上げます。この困難な時に、日本はフランスと共にあります。

     2015年が開始しました。悲しい幕開けとなりましたが、我々も仏との連帯の精神で乗り切っていきたいと思っております。2016年1月1日には、フランスの地方自治制度改革が実施され、オーベルニュ州とローヌ=アルプ州が合併し、オーベルニュ・ローヌ=アルプ州が誕生する予定となっています。これは、ちょうど当事務所の管轄地域と符合致しますので、当事務所としてはより一体感のある外交活動ができるものとしてこれを歓迎しています。

     実はこの地域、よく考えますととてもユニークな地域であることに気が付きます。フランス第二の都市リヨンを控え、イタリアとスイスに接し、モンブラン・トンネル、トリノ・トンネルという陸路の動脈を持ち、リヨン・サンテグジュペリ空港は地方ハブ空港として規模を拡大しようとしています。スマートシティ構想はリヨンやグルノーブルで実証実験が進み、クラスターは15箇所、競争力拠点も15箇所に上ります。それでいて、食の都であり、山あり川あり湖あり休火山ありスキー場あり温泉あり、ないのは海ぐらいです。

     ということで魅力あふれるこの地域をもっと日本の方に知っていただきたく、またあまり知られていない観光穴場スポットもたくさんございますので、今年の活動記録は、そういった点も積極的にこの場に掲載してこの地域を積極的に御案内させていただけたらと思っております。

     1月6日(火)から、クレルモンフェラン方面に出張に参りました。クレルモンフェランは、20年前の研修中に何度か訪れたことがございますが、近年リヨンと結ぶ高速道路が開通し、今ではリヨンから2時間足らずで行くことができます。途中、落ち着いた牧歌的なオーベルニュらしい風景が車窓から窺えます。

     クレルモンフェランのオリビエ・ビアンキ市長と、日本とクレルモンフェランの長い友好関係について議論をしました。オリビエ・ビアンキ市長は親日家であり、また本年には念願の初訪日の機会があるようで、ミシュランの緑ガイドの日本版を手にしては、毎晩旅行のプランを練っておられるそうです。今月末にはクレルモンフェラン日本人会(いちご会)の新年会があり、そこにゲストとして出席して下さるとか。クレルモンフェランクラスの現役市長が日本人会の集いに出席して下さるのは極めて稀だと思います。普段のお付き合いの賜物でございましょう。新年会には私も出席させていただくことにして、再会を誓いその場を後にしました。

     続けて伺ったのは、約二時間東南方向に移動したところにある、アンベールという市です。人口約7000名の郡庁所在市です。ここで御挨拶させていただいたミリアム・フジェール市長は、2014年4月に就任、とっても活動的な女性市長で、日本からのお客様のお越しをお待ちしていると言っておられました。アンベールは、欧州最古の手漉き紙の町のひとつとして有名で、「細川紙」の産地である埼玉県東秩父村と姉妹都市友好憲章を結んでいます。市庁舎の中には東秩父村から贈呈された日本人形が大切に展示されていました。アンベールの手漉き紙は、ノーベル賞の賞状に使われているそうです。

    (写真左:クレルモンフェランのオリビエ・ビアンキ市長と)
    (写真右:アンベールのミリアム・フジェール市長と(左から二番目)。アンベール市庁舎は欧州でただ一つの円形庁舎です。)

     同日夜には、クレルモンフェラン市内で活躍する日本人の方々と懇親会の機会を持ちました。皆さん、それぞれ、ここフランスで、それぞれの問題意識とミッションを持って懸命に努力されています。そのお姿に、勇気と元気を頂戴しました。 皆さんこれからも、日本とフランスのために頑張って下さいね。

     

    (写真左から:SBトラデュクションの江東さん、生物学研究者で日本の大学で講師として帰国される村西さん、小林、折紙創作作家の合谷哲哉さん、それにブリジストン・アンカーサイクリングチーム監督の水谷さん、さらに火山研究者の古賀先生、JANAの合谷麻容子さん。)

     1月7日(水)ミシュラン本社を訪問させていただきました。ミシュランと日本の関係は長く、1964年の東京オリンピックに際して開業した羽田と浜松町を結ぶモノレールのゴム車輪にミシュランのタイヤが使われたのが日本市場への初登場だそうです。日本には群馬県太田市に研究開発センターがあります。日本ミシュランタイヤは、工場は閉鎖しましたが、今後は研究開発拠点としての役割を強化させていかれるとの説明でした。タイヤの発明の起源は、やはりミシュランで、馬車の乗り心地が悪いということで初めにゴムの固まりを車輪にはめて、これは世紀の大発見ということで次々に実用化が進みました。そのゴムは仏領インドネシアからほど近いタイで生産されたそうです。因みにタイヤの溝というのもミシュランが発明しました。下の写真にありますように、最初はミシュランの「M」という文字が道路に残るのが宣伝になるからという思い付きでつけられたそうです。

     ミシュランと言えば、ミシュランガイドで有名ですが、ミシュランガイドのセクションはパリにあるそうです。ミシュラン創業者の理念は、ユーザーであるドライバーのために何ができるかを真剣に追及する、ということで、どことなく日本のおもてなし精神と一脈通じるものを感じました。ミシュランはドライバーが道に迷わないように自ら道路標識を作ったり、地図を作ったり、ミシュランガイドも実はあれはドライバーのことを考えて作られたガイドブックだったりします。ですので、車でしか行けないレストランが掲載されているというのは、フランスを旅行した日本人の誰もが気付くことです。赤ミシュランと緑ミシュランはいつの時代も、週末ドライブには必携です。ミシュランは、クレルモンフェランの日本語補習授業校に対する支援も行っています。今後とも、日仏企業間交流がさらに進むことを期待したいと思います。

    (写真左:左からレミ・ド=ヴェディヤック ミシュラン・フランス社長、ジェラール・デュエム クレモンフェラン所長、アントワン・ソートゥネ担当官)
    (写真右:世界一大きなタイヤはミシュラン製です。)

    (写真:ミシュランの記念館(l’aventure MICHELIN)では、ビバンドム君と記念写真が撮れます。)

    1月10日(土)は、ローヌアルプ州柔道連盟の新年鏡開式に出席して参りました。御存じの方も多いでしょうが、フランスは柔道人口70万を超える世界一の柔道大国です。日本で20万人程度ですから約3倍の競技人口を抱えます。ここローヌ県は仏国内では三番目に柔道が盛んなところで、今年の鏡開式は、ジャン=リュック・ルジェ仏柔道・柔術・剣道連盟会長、カトリーヌ・アルノー選手(87年、89年56kg級の世界選手権チャンピオン)他150名の柔道家が参加されました。

     日本の武道である柔道がここまでフランスで普及したのは、50年に亘り柔道を教えてこられた粟津正蔵先生の存在なしには語れないと思います。個人的にお慕い申し上げており、現在もパリに御在住です。ルジェ会長と話をしていて、日本の心、武道の心は闘争心が基本にないと言われてはっとしました。彼は山下泰裕さんと現役時代何度も戦って一度も勝てなかったそうで、ただし、勝負の時の山下さんは、いつもとても穏やかだったのが印象的だったと語っておられました。

     柔道の精神は、嘉納治五郎の残した「自他共栄」に集約されており、その精神は、技の中に、そして勝負の中にこそ生きてくる、それが武道の深みであると思いました。鏡開式では、先のテロ事件について犠牲になった方々の冥福をお祈りすると共に、柔道家であった3名の警官の霊を悼み、全員で一分間の黙祷を行いました。

     

    (写真左:鏡開式での総稽古の模様。まるでそこは日本の空間でした。)
    (写真右:模範演武で大技「肩車」を見事に決める女子高生柔道家)

    (写真左:日本を代表して挨拶をする小林所長、武道とスポーツの違いについて述べました。)
    (写真右:左はカトリーヌ・アルノーさん、山口香選手と名勝負を演じました。右はジャン=リュック・ルジェさん、75年フランス人で史上初めて世界選手権で優勝しました。なお、小林所長は少林寺拳法4段の腕前です。)

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    リヨン領事事務所活動報告(平成26年12月24日号【第7号】)

     

     在リヨン領事事務所長の小林です。エチオピアからリヨンに着任して、丸3カ月が経過しました。この間、多くの方に支えられて今日を迎え、そして穏やかな年の瀬を迎えることができそうで、感謝の気持ちで一杯です。事務所のスタッフは何人おられるのですか、とよく聞かれるのですが、私を入れて6名と運転手さんですと申し上げると、大抵の方はびっくりされるか、過酷な労働環境を想像され二の句がなくなります。他方、少人数だからこそできる仕事もあり、また得られるものもあるわけで、それは家族経営的な手作りで顔の見える温かい外交であったり、どこの公館にも負けないチームワークだったりするのだと思います。

     さて、本年最後の業務活動報告を紹介させていただきますが、その前に一点。12月19日(金)に治安情報説明会を行いましたが、その際に皆様方から寄せられた情報、さらには当事務所で処理した事案から、最近、TGV内でのスリが多発していることが浮き彫りになりました。手口は、荷物を上の棚にあげるのを手伝ってもらっている間に一味がカバンから財布を抜き去る、寝ている間に財布を抜き去る、掛けていた背広や棚に置いた背広から財布等を抜き去る、また、別の者が昇降口を塞いでる間に後ろから体を密着させて財布を抜き取るといったものです。犯人は、TGV内で一般の乗客になりすまし犯罪の機会を狙っていると思われますので、十分お気を付けください。特に財布をズボンの後ろポケットに入れることは大変危険ですのでお止めください。治安情報について、必要な場合は、お気軽に当事務所にお尋ねください。

     12月11日(木)、俳人恩田侑布子先生による俳句の講演会を、国際交流基金パリ日本文化会館、リヨン第三大学の御協力の下、実施致しました。恩田先生は、昨年、芸術・俳句論集『余白の祭』で第23回Bunkamuraドゥマゴ文学賞を受賞されました。言葉の一つ一つがキラキラと輝きを持っている大和の言葉の美しさをいかにしてフランスの方にお伝えするのか、大変興味がございましたが、実は先生のテーマはさらに壮大だったことが講演をお聞きして理解できました。

     ドゥマゴ文学賞は、先般急逝された松本健一氏が選者でありました。松本氏は、選評に、「現代文学の閉塞状況に風穴をあけるような作品が、恩田侑布子さんの『余白の祭』(深夜叢書社)という現代芸術論集・俳句論集だった。恩田さんが「余白」の思想いや美学として話題にしているのは、直接的には、俳句の世界である。つまり、〈近代的自我〉の自己表現の終わった「余白」の部分で、そのさきにどんな世界と時間がひろがっているかを伝えようとするのが、俳句だ、というのである。」と記しました。

     先生の講演をお聞きして、現代文学が私に向かい私にとりつかれている中、私を越えた先にある小さな余白が揚々として澎湃とする様を、歴史や伝統を写し鏡として、立派に私の論を展開する、むしろ言わないところ、表現しないところ、余韻の中にこそ美の本質が凝縮して存在している、そういう風に勝手に理解致しました。

     恩田先生が読まれた句から、少しだけ御紹介致します。

    香水をしのびよる死の如くつけ
    吊橋の真ん中で逢うさくらの夜
    分かち合ひしは冬霧の匂ひのみ

    (写真左:恩田先生と通訳のジュリアン・フォーリさん、小林)
    (写真右:試験中で日本語学科の学生がいませんでしたが、一般の方に大勢お集まりいただけました。)

     12月16日(火)には、Galerie d’Art Atelier 28のマルティンヌ・ボナヴァンチュールさんの御依頼で、日本の陶器にインスパイアされてフランスで陶芸家になられた方々を対象に、日本の陶器の魅力について説明して参りました。

     フランスは文化大国であり、日本文化を愛する方が本当に多く、正に「打てば響く」実感を強く持つことができます。フランスにおける文化外交及び日本文化発信は極めて重要で、また遣り甲斐のある仕事だと毎回しみじみと思います。それにしましても、外交官という仕事は、気合ひとつで何でもやらなければならないわけでありまして、毎回一夜漬で口述試験を受けるようなところもございます。

     今回は焼き物の魅力ということで、郷里の備前焼を紹介致しました。家から備前焼作家藤原和先生の作品を何個か持ち出して、他の地域の陶器と比較しながら、備前焼の特徴を、土と炎の芸術であること、その表現は窯内の奇跡であり反復性のないものであること、藤原和先生が使う土は、特殊な土で、おじい様で人間国宝の藤原啓さんが70年前に掘って寝かした土を使っていると述べると、会場からため息が漏れました。さらに、備前の最大の特徴は使う陶器であること、つまり、酒や水を入れることで陶器に命が吹き込まれること、色とりどりな料理を最も映えさせる器であること、について写真を用いながら説明致しました。日本酒を実際にお猪口に注ぎ、飲んでもらいましたら、お一人から日本酒や日本料理が何故日本文化の一部であるか理解できたと言葉を頂きました。

     

    (写真左:フランスの焼き物作家の作品です。どれも派手な中に侘・寂が入っていて面白い作品です。)
    (写真右:備前作家の藤原和先生の作品を手に、備前焼の魅力について語りました。)

    (写真左:人間国宝藤原啓のお皿に盛った握り飯と漬物が三ツ星以上の贅沢料理だと説明しました。)
    (写真右:本件を企画されたギャラリー28のアルノーさん、陶芸家のシャルビさん、小林。シャルビさんは、欠けた茶碗に接ぎをすることで命を吹き返すことを紹介、日本の芸術の深さを説明しました。)

     12月17日(水)及び18日(木)には、サヴォワ地方の主要都市(シャモニー、アヌシー、シャンベリー)を訪問し、各市長、主要企業、競争力拠点、産業特区、日仏協会、邦人コミュニティ等と精力的に意見交換を行いました。サヴォワ地方は、1860年にフランスに割譲されるまではイタリア領であり、現在でもサヴォワ公国の歴史と文化を大切にしています。同じローヌ=アルプ州の中に含まれますが、地理的近接性から、心理的には、ローヌ=アルプ州の州都リヨンよりはジュネーブに近いのではという印象を持ちました。

    行程はシャモニーまで一気に上り、下りながらリヨンに帰投する道順を選択しました。最初に、シャモニー市庁舎でシャモニー市長と意見交換をし、富士吉田市との友好関係について説明を受けました。シャモニーでは、毎年夏にトレイル(山岳マラソン)の大会が行われており、日本選手も昨年は300名が出場したとか。名峰モンブランを抱えるので、日本人の登山家からは古くから親しまれてきた街であり、また在留邦人も山関係の方が多いようです。世代的には最初に移り住んで来られた方に変わり主流が第二ジェネレーションになり、すでに第4ジェネレーションが登場しているとか。

    (写真左:左から、シャモニー富士吉田姉妹協会のラフマ女史、シャモニー市長のエリック・フルニエ氏、小林)
    (写真右、シャモニー在住邦人第二ジェネレーションの面々:左から、シャモニー日本人会会長の神田泰夫さん、シャモニー観光局勤務のプロスキーヤーの横山日出現さん、小林、シャモニー富士吉田姉妹協会のラフマ夫妻、ミズノスポーツの関野寿さん)

     シャモニーを離れ、向かった先はアヌシーです。アヌシーは、オート・サヴォワ県の県庁所在地で欧州一の透明度を誇るアヌシー湖がございます。2018年の冬季オリンピック会場に立候補しておりましたが、平昌に投票で敗れました。最初に同地域最大の日系企業NTN-SNR社を訪問し、アラン・ショバン社長、安井達修副社長他と意見交換を行いました。

     NTNとSNRの合併は、私のパリ勤務時代で特に印象に強く残っていた案件で、当時からWIN-WINの理想的な企業合併と言われておりました。事実、御説明をお聞きして、日本の良いところとフランスの良いところが相互を補完しながらバランスよく組み合わさって今日の姿があるということがよくわかりました。NTN-SNR社は、2014年3月の数字で、雇用4265名、グループ売上8億38百万ユーロという、巨大企業です。ベアリングというのは、真円であることが要求され、機械のほとんど全ての回転運動に使われるため、その質の高さが、機械全体の耐久性や省エネ、騒音といったベーシックな問題に直結するというものです。

     その後は、アヌシー国際アニメーション映画祭関係者と意見交換を行いました。アヌシー国際アニメーション映画祭は、1960年にカンヌ映画祭からアニメ部門が独立して開始された世界最大のアニメ映画祭です。昨年は「かぐや姫の物語」で高畑勲監督が名誉クリスタル賞を受賞、これまで宮崎駿監督を始め14名の監督が受賞されている日本にとって強みのある映画祭です。毎年約7000名のアニメ業界関係者がアヌシーに集い、同時に見本市も行うので、若手映像作家などの発掘も行われます。アニメは日本のお家芸というところもあり、外交ツールとして何か工夫はできないか、現在じっくり考えているところでございます。関係者のお話ですと、フランスではカンヌに次ぐ大型国際映画祭なのに脚光を浴びない一つの理由はレッドカーペットがないからだ、と本音を聞かされましたが、アニメだけに中々難しいようです。

    (写真左:右から、NTN-SNR社の安井達修副社長、アラン・ショヴァン社長、小林)
    (写真右:アヌシー国際アニメーション映画祭関係者の皆様と。小林右横は、本映画祭会長兼アヌシー副市長のドミニク・ピュトー氏)

     18日は、朝からテザム開発公社を訪問。テザムの推進する産業領域は、メカトロニックが主要ですが、徐々にロボテックに移行している傾向がみられるようです。特にロボット産業は、医療介護用ロボットを始め、実用化されると私たちの生活ががらっと変わってしまいそうです。夢見た鉄腕アトムの世界はもうすぐそこまで来ているようですね。お話を伺ったテザムの事務局長アンドレ・モントーさんは、35回以上の訪日経験を誇る正真正銘の親日家、日本理解者でありまして、日本の産業技術力のレベルの高さは世界一であり、フランスと組める相手としては日本しか見ていないと猛烈なラブコールでありました。フランス国内の見本市にもっと日本企業も出展してほしい、日本企業の実力を見せつけてほしいと何度も語っておられました。その後、アヌシー市庁舎にジャン=リュック・リゴー市長を表敬し意見交換を行いました。

     午後からは、いよいよ今回出張のお目当てであった、シャンベリーのサヴォワ・テクノラックを訪問し、再生可能エネルギーの最先端を視察致しました。サヴォワ・テクノラックは、ジャン=ピエール・ヴィアル現会長(兼上院議員)が、サヴォワ県議会議長を務めていた2007年に設立したテクノポリスで、太陽光発電関係や電気需給管理を行う会社、国立太陽エネルギー研究所(INES)等の研究機関、大学など約200の機関が集っています。いわゆる国が主導する競争力拠点や地方公共団体が主導するクラスターの先駆的存在であり、サヴォワ地方の独自性が十分発揮された進取の精神溢れる機関と言えると思います。ここでも日本の技術力に対する期待と尊敬の念は強く感じられ、人類全体の地球規模的課題に、日仏が英知を結集し協力していく正に戦略的なパートナー関係であることを強く認識致しました。

    (写真左:テザムのアンドレ・モントー事務局長と)
    (写真右:サヴォワ・テクノラックのジャン=ピエール・ヴィアル会長と)

    (写真左:最先端太陽光パネルの前でINESの皆さんと)
    (写真右:太陽光発電を如何にスマートシティ化に結び付けるかについて議論)

     シャンベリーは、リヨンから100キロほど東に位置するサヴォワ県の県庁所在地であり、サヴォワ公国の中心都市の一つ、先述のとおり1860年に仏領に編入されました。サヴォワ県庁のプレートには、当時の名残を残すように、「サヴォワ公国」という文字が残されたままになっています。他の県庁が、平地に建てられた建築物であるのに対し、サヴォワ県庁舎は、丘の上に建てられた日本で言う山城の雰囲気です。これは、フランス・ブルボン朝への警戒心から、サヴォワ王国西端のシャンベリーに強固でかつ監視に適した建物を造らせたのであろうと想像しました。

     シャンベリーにも日仏友好協会が存在し、ここではグジョー会長に協力をお願いしております。ボランティアによる日本語補習授業校や、日本語教室も行っておられます。日本の文化を伝え、魅力を発信するのは在外公館や国際交流基金ばかりではありません。日仏協会や日本文化紹介団体、あるいは個人に見られる草の根文化交流の根底にある情熱と日本への愛情をしっかりと汲み取り、相互に補完し合う協力体制を構築すべきであろうと思いました。

    (写真:右から、小林、シャンベリー日仏協会会長のグジョーさん、フォンテーヌさん)

     さて、2014年最後の在リヨン領事事務所の行事活動報告となりました。また来年から気を引き締めて所員一同張り切って業務に邁進する所存でございますので、どうか来年もよろしく御指導下さい。繰り返しになりますが、どうか我ら在リヨン領事事務所を邦人の皆様の身近に置いて頂き、積極的に御活用いただければ幸甚でございます。それでは、良いお年をお迎えください。

     

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