最近の行事報告

  • リヨン領事事務所活動報告(平成27年4月22日号【第10号】)

     

     在リヨン領事事務所長の小林龍一郎です。

     3月下旬に長期出張から戻って参りまして、早速業務を再開致しました。リヨンを後にした2月上旬はぐずついた天気も多く、コートが手放せない毎日でしたが、リヨンに戻って参りましたら、空が蒼く高く、街のカフェもテラスにテーブルを並べ、芽吹いた木々を心地よい陽気が包みこんでおりました。フランスはこれからパリ祭とその先にあるバカンスに向けて社会全体が活気を増して参ります。当事務所は、世界一のマイクロ事務所ですが、山椒は小粒でもピリリと辛いように、国家国民のために良い外交ができるよう一生懸命努力して参ろうと決意を新たにしております。

     3月25日(水)、本年秋に在リヨン領事事務所が企画する大型文化行事「絹が結ぶ縁:Soyeux destin」のための第一回実行委員会を開催致しました。直接御協力頂ける方に集まって頂き、何をどのように進めていくべきか、そのために必要なことは何か、コンセプトをどのように先鋭化していくか、フランス社会に与えるインパクトを最大にする方法は、行事の狙いは正しいのか、成果としてどのようなものが期待できるのか等々、友好的な雰囲気の中、長時間に亘り、甲論乙駁の議論が飛び交いました。

     この文化行事はまさに当事務所手作りのものです。定型が既にあり、それをフランスの木枠に押し込んで仕上げるといったものでは全くありません。それだけに、手間やエネルギーがとてもかかりますが、日本を発信するに当たって最大の効果を得るためには、安易に妥協をするわけにはいきません。議論を通じて、そういったこちらの真剣な気持ちに、フランスの人たちの協力の姿勢、連帯の気持ちが重なり、最後に必ずや良い行事になると全員が確信した、そんな会議でございました。

    (写真左:真剣な表情で議論する参加者、背景にあるタイルは金子晴彦氏による石垣焼の作品です。)
    (写真右:小林所長の発言にもついつい熱がこもります。)

     4月2日(木)、招待を頂戴したので、Corinne GRADIS さんとElodie WATANABEさんの個展のオープニングに出席させていただきました。

     お二人の作品は、特徴ある世界中の布をアップリケの技法を用いて絵画のように仕上げていくものです。多くの布はアフリカやアジアのものですが、日本の藍染めの布地を用いた水墨画のような作品もございました。中でも思わずのめり込んでしまったのは、下で御紹介する金色の布地の作品でした。作品の前に立ってしばらくすると、大きな木のぬくもりを感じると共に木の鱗から漂ってくる香りや小虫の声まで聞こえてきそうで、小学生の頃に迷い込んだ田舎の山の中で出会った巨木と再会した思いがしました。二人のアーティストは、布を通して出会い、一瞬で意気投合し作品制作に取り掛かられたとのこと。御活躍の様子は、フランス・ニュース・ダイジェストにも紹介されています。

     

    (写真左:小林所長、Corinne GRADISさん、Elodie WATANABEさん)
    (写真右:大変印象的な作品で、多くの方が足を止めて見入っておられました。)

     4月4日(土)、リヨンの日本語補習授業校の学習発表会に来賓として出席させていただきました。はるか昔となりました自分の子供の頃を思い出し、学習発表会や参観日が実はあまり好きではなかったことを思い出しました。良いところを見せねばならないというサービス精神の発露なのでしょうが、構えれば構えるほど失態をやらかすのが常でありまして、自然体が全てに優越するということを得心するまでには、それから何十年の月日を必要と致しました。挨拶の中では自分のような失敗をしないよう子供たちにアドバイスしたつもりでしたが、メッセージは届きましたでしょうか。どのお子さんも、とても素晴らしい発表で、先生方、親御さんの御指導も如何ばかりかと大変感銘を受けました。

     4月5日(日)には、イゼール県メイラン市まで出張し、グルノーブル日本語補習授業校の学習発表会に出席させて頂きました。約30名の子供たちが学年に分かれて様々な学習発表を行いました。子供たちによる寸劇は大変可愛らしかったですし、落語の寿限無のお話は皆さんよく暗記されていて驚きました。音楽の発表では、ピアニカの日本らしい音色に合わせて、バイオリンが登場するなど、皆さんとてもお上手で感動しました。グルノーブル校は校歌があります。代々歌い継がれている校歌を元気よく歌う子供たちを見て、この歌が懐かしい思い出になる頃には、みな夫々日仏の架け橋になっているんでしょうねと感慨に浸りました。

     4月8日(水)は、銀座和叶の御招待でお着物のデモンストレーション夕食会に出席させていただきました。日本文化の美しさを最もよく物語るのは和服だと思います。「絹」はリヨンでは特別な存在ですので、絹でできた色鮮やかな和服を一度で良いから自分も着て見たいということを言われるフランスの方は多くおられます。本夕食会にも多くの方がお召しになられていましたが、皆さん大変幸せそうなお顔だったのが印象に残りました。日本の文化を理解し、愛してくださるフランスの方は、年々増えてきているような気が致します。20年前にリヨンで在外研修をしていたときよりも、パリの大使館で勤務していた2006年~2011年よりも、毎年毎年着実に日本文化がフランスに浸透してきているという実感を強く致します。日本の文化の幅広く奥が深いコンテンツ故でありましょう。個人の考えですが、文化外交とは、手段とコンテンツの掛け算だと思っています。日本の存在をさらにアピールできるものは、日本にはまだまだございます。そして、様々なチャンネルが手段として存在しているのも事実でございます。今回のような着物の夕べもその一つに他なりません。

     4月9日(木)は、リヨンから70キロほど南方のアルデッシュ県サン・ローラン・デュ・パープにある、碧巌山正法寺を訪ねました。フランスでお寺?と思われる方も多いと思いますが、正真正銘の臨済宗妙心寺派の寺院です。御住職の太寛常慈和尚は、山田無文妙心寺館長の下、7年間修行され、1974年に寺を開き、2004年に正式に正法寺から海外唯一となる開山の允可を受けられました。なお、太寛常慈和尚と申しましたが、正真正銘のフランスの方です。また太心宗明さんというお坊様もおられます。このお坊様は、正法寺の居士として仏門に入り、神戸の祥福寺で11年間修行され、昨年寺に戻られました、因みにこのお坊様も100%フランスの方です。
    寺には、立派な弓道場や禅堂があり、年間を通してヨーロッパや日本から弓道や禅の修業に多くの方が訪れると言うことです。到着してお二人のお坊様に迎えられてまずはそこから驚き、境内に入ってあまりの日本らしさに再び驚き、立ち居振る舞い、日本文化への理解、深い精神性、何もかもが驚きの連続であり、最後は驚きを通り越し、敬服の気持ちしか残りませんでした。お昼ごはんをご馳走になりましたが、それがフランス風の精進料理であり、これも真正面から一本、「面」を取られた気持ちが致しました。

     

    (写真左:凛とした弓道場。塵一つ落ちていません。)  
    (写真右:和尚の話はとても大変勉強になりました。)

     

    (写真左:立派な禅堂です。)  
    (写真右:妙心寺派の唯一の外国のお寺とのこと)

       

    (写真左:弓は引くのではなく、開くものだと和尚から教わりました。和尚は弓道5段です。)  
    (写真右:フランス風の精進料理でおもてなしを頂戴しました。)

     4月14日(火)に、リヨンビオポールを訪問し、フローランス・アゴスティノ=エチェット理事長とお話させていただきました。リヨンビオポールは、バイオ関連の競争力拠点です。国庫補助を受け2005年に活動を開始しました。なお、ローヌ=アルプ州はワクチン生産欧州一位で、域内に3600人の研究者、1000の大学病院、600の中小企業と連携したバイオテクノロジー拠点です。リヨンビオポールは産業研究拠点でもあるグルノーブルとの連携を密にし、ローヌ=アルプ州の地の利を生かした競争力拠点との説明でした。従来欧州内、米、上海との交流があるのみで、日本との関係は希薄、日本とこれから協力を深めていきたいとのお話を頂戴しました。
    また、4月20日(月)に、化学・環境分野の競争力拠点であるアクセレラ(AXELERA)を訪問し、ジャン・マニュエル・マス部長から説明を頂戴しました。リヨンは歴史ある繊維産業の町であり、繊維の発達は染物の原料となる化学業界の発展を導きました。化学と環境の融合、新エネルギー、省エネルギー、エコシステム等の分野で、研究開発を進める競争力拠点がアクセレラです。リヨン、グルノーブル、サンテチエンヌ、シャンベリーを纏める拠点として機能している由で、3000人の研究者、年間470の特許数、この規模は仏第二位、欧州第7位とのことです。日本の高度な産業技術は目を見張るものがあり、是非協力を強化していきたいが、まだ途上であるとのこと。
    いずれの場合も、在リヨン領事事務所は、日本企業支援を重要なミッションにしておりますので、御関心のある方は、御遠慮なく当事務所まで御連絡下さい。

     

    (写真左:リヨンビオポールのフローランス・アゴスティノ=エチェット理事長)  
    (写真右:アクセレラのジャン・マニュエル・マス部長)

     4月16日(木)は、リヨンにおける日本陶器愛好家の方から懇親会に招待され楽しい時間を一緒に過ごさせて頂きました。陶器については、先般愛好家の方を前に簡単な御説明の機会を設けさせて頂いたところですが、大変好評で第二段をとお願いされております。他方、小生のにわか仕込みでは限界がございますので、この秋に、郷里の知己である備前焼作家の藤原和先生に、リヨンまで御足労願い、御講演をしていただくことを予定しております。
    日本陶器愛好家の方とお話して驚きましたのが、藤原先生の作品をお見せしたところ、「このゴマのつき方が素晴らしい」とか、「ここは火襷だ」、などと、日本の方でもあまり知らないような専門用語を存じておられ、造詣が極めて深いということです。5月に日本に三週間行くと言われた御夫婦はこれで6回目の訪日となるそうですが、「日本を訪れた人は何人も知人にいるが、訪問後に日本のことを悪く言う人は一人もいない」と強く語っておられました。これは正に日本の魅力であり、品位であり、底力であると思った次第です。

    (写真左:日本の芸術談義に花が咲きます。)
    (写真右:お食事会の後はリヨン美術館(Musée des Beaux-Arts)を訪問。日本陶器のコレクションを拝見しました。)

     3月24日(火)、永年に亘り、在リヨン領事事務所(以前は「在リヨン出張駐在官事務所」と呼称)を支えてきて下さった、江口職員と今川職員の勤続10年に際し、岸田外務大臣からの感謝状を代理授与致しました。これだけの小人数で、これほどパワフルな外交を展開できるのは、現地職員の皆様のお力に寄るところが大きく、そのことを考えると、職員そしてそれぞれの御家族に対する感謝の気持ちで胸が一杯になります。在リヨン領事事務所は今年12年目に突入致しました、これからも邦人の皆様のための事務所として職員一同力一杯頑張っていく所存です。

    (写真左:江口職員と) (写真右:今川職員と)

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  • シャンベリー在留邦人を対象とした「ひな祭りの会」の実施

     

     3月28日、当事務所はシャンベリー市においてサヴォア県在留邦人家族を囲んでの「ひな祭りの会」を開催しました。

     小林所長出張の為、中谷副領事が御挨拶を行い、オペラ歌手今村恵子さんによる日本の歌「うれしいひなまつり」「さくらさくら」など計5曲を、素晴らしい歌声で披露していただきました。

     

    (写真左:中谷副領事の挨拶の様子)(写真右:今村さんによる日本の歌)

    (写真左:楽しい会の様子)(写真右:折り紙コーナー)

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  • ピエール・ベニット市立道場オープニング記念式典への参加

     

     3月27日、出張中の小林所長の代理として中谷副領事が、リヨン市郊外のピエール・ベニット市に新設されたジョルジュ・ボード市立道場のオープニング記念式典に来賓として参加し、関係者とテープカットを行いました。

     

    (写真左:テープカットの様子、右から中谷副領事、ミシェル・カザブリ柔道クラブ会長、マーク・ペラ技術顧問、モーリス・レヴェリ合気道クラブ会長、ジェローム・モロージュ・ピエール・ベニット市長、ミッシェル・テロー国民議会議員、ジョルジュ・ボード夫人、ウイルフリッド・クぺ・同市スポーツ担当助役)

    (写真右:道場プレート除幕の様子、右から中谷副領事、ジョルジュ・ボード氏の御家族(3名)、ピエール・ベニット市長)

     1985年に設立されたピエール・ベニット柔道クラブは現在190人の会員を有し、2010年には日本遠征を行いました。設立当時は公民館の一角で稽古を行い、稽古の度毎にマットの準備と片づけと行わなくてはならなかった等の苦労話を伺いました。式典では、初段に昇段した同クラブに所属する女性若手選手の黒帯授与も同時に行われました。

     道場名となった故ジョルジュ・ボード氏は、ロワール県出身の柔道家で、1950年代に講道館道場にて柔道修行を行った後、リヨン地区での柔道指導者の育成に携わりました。

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  • 少年少女柔道親善試合への参加

     

     3月21日、出張中の小林所長の代理として中谷副領事が、リヨン近郊のカルイールエキュイール市立体育館で行われた少年少女柔道親善試合に来賓として参加し、参加者の子供達へメダルの授与を行いました。

     去年6月にクラブ創立40周年を迎えたカルイールの柔道クラブが主催して行われる本大会には、ローヌ県内の26のクラブに所属する5歳から11歳までの約500人の子供達が参加しました。

     

    (写真左:親善試合の様子)(写真右:中谷副領事による7歳児クラスへのメダル授与の様子)

    (写真:左から、フィリップ・コシェカルイールエキュイール市長兼国民議会議員、中谷副領事、ジャン=ポール・リュケ・カルイール柔道クラブ名誉会長)

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  • 奈良県立高取国際高校とボワシ・ダングラ高校の姉妹校交流事業への参加

     

     3月13日、中谷副領事はアルデッシュ県アノネー市のボワシ・ダングラ高校を訪れ、7日から同校で短期研修中の奈良県立高取国際高校の皆さんとホストファミリーを迎えて行われた懇親会に来賓として参加しました。

     ボワシ・ダングラ高校と高取国際高校は2001年に姉妹校提携を結んで以来、定期的に交流活動が行われており、今年は高取国際高校2年生15名及び1年生7名の生徒22名と2名の引率の先生の合計24名が23日まで当地に滞在する予定です。

     

    (写真左:懇親会の様子)(写真右:両校の先生方と)

     偶然にも中谷副領事は高取国際高校の同窓生であり、今後とも両校の活発な姉妹校交流活動が期待されます。

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  • 日本人会向日葵クラブ主催「日本とフランスの年金制度」講演会

     

     3月6日(金)、当事務所にて、リヨン日本人会向日葵クラブ主導により、「日本とフランスの年金制度」に関する説明会が開催されました。

     40人を超える参加者の前で、日本の年金制度については在フランス日本国大使館一等書記官である村野氏が、フランスの年金制度についてはローヌアルプ州保健年金基金年金担当官・国際通信員であるミッシェル・メイエ氏がご講話くださいました。

     

    (写真左:小林所長出張の為、代理でご挨拶する中谷副領事)(写真右:講演会後。左から2番目が村野一等書記官、中央がローヌアルプ州保険年金基金メイエ氏、その右隣が中谷副領事。両脇は、向日葵クラブ代表のカズノブさんとイブラールさん。)

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  • CNSMD リヨン国立音楽・舞踏学校における雅楽講演会の開催

     

     2月25日、パリ日本文化会館、リヨン国立高等音楽舞踏学校との共催により、神戸大学教授の寺内直子先生による雅楽の講演会と体験ワークショップが行われました。1300年以上昔から伝承されてきた、皇室や神社の諸行事と深く結びついた宮廷芸能の雅楽の音楽や舞踏の特徴や用い方や伝承方法、そして天皇制や宮廷文化における雅楽の意味や役割などが多様な角度から解説され、また、現代の新しい雅楽の潮流なども紹介されました。

     また講演会の後には、リヨン国立高等音楽学校の学生さんや有志の方々が、龍笛のワークショップに参加され、歌って旋律を覚えてた後に実際に楽器を吹いて簡単な楽曲の演奏を体験されました

    (写真左:小林所長の代理でご挨拶する中谷副領事)
    (写真右:右から寺内先生、藤原氏)

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  • クレルモンフェラン市『神の雫』展オープニングセレモニー

     

     2月12日、出張中の小林所長の代理として中谷副領事が、クレルモンフェラン市観光局で今月3日から開催されている「漫画『神の雫』展」の公式オープニング式典に来賓として出席しました。

     同展示会の主催者であるモミ漫画クレルモンフェラン店責任者ジュリ・ウイヨンさんの司会で行われた式典では、オリビエ・ビアンキ・クレルモンフェラン市長が、「クレルモンフェラン市の国際化を進める中で、特に最近の同市の日本愛好家や日本人コミュニティによる質の良い日本文化紹介活動は歓迎すべきものであり、今後もクレルモンフェランと日本の友好を促進する機会が増えていくことを期待する」と挨拶をされ、それを受けて中谷副領事も、「当事務所の管轄地域であり、2016年に向け合併するクレルモンフェランを州都とするオーヴェルニュ州とリヨンを州都とするローヌアルプ州の、日本との良好な文化的・経済的関係を更に発展させていくために、当事務所も全面的に支援していく所存です。」と述べられました。

     皆様もご存知の、ワインを題材とした人気漫画『神の雫』は、フランスでは2008年にフランス語訳版が出版され始め、既に2百万冊を超える売り上げを記録する人気を博し、日本マンガとフランスワインのファンを増やし続けています。

     同展示会は、盛況の下、2月28日に終了しました。

     

    (写真:同展示会公式オープニング式典にて。向かって右前列から、モミ漫画店クレルモンフェラン店ウイヨン店長、ビアンキ・クレルモンフェラン市長、中谷副領事、同展示会パートナリアを務めるJANAオーヴェルニュ日仏協会主宰の合谷夫妻。)

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  • 新横浜ラーメン博物館一行のリヨン視察

     

     2月8日から10日まで、新横浜ラーメン博物館関係者が、同博物館の海外展開を見据えた視察に訪れました。当事務所の仲介でリヨン市観光局本部長とも面談し、食の都リヨンへの、より一層のラーメン文化の進出によってもたらされる観光促進について、意見交換をしました。

    (写真左:リヨン市観光局事務所にて。写真右端から新横浜ラーメン博物館・岩岡代表取締役、リヨン市観光局ガイヤール本部長。フランクフルト横浜市事務所・三室所長、新横浜ラーメン博物館営業戦略事業部・中野広報・宣伝課長、出張中の小林所長の代理として参加の中谷副領事。)

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  • リヨン日本人会新年会

     

     2月7日土曜日、マルセイユ総領事館胡摩窪首席領事と中谷副領事は、リヨン日本人会主催の新年会に来賓として出席しました。日本人家族等約200人近い参加者たちに対し、胡摩窪首席領事はお祝いの挨拶を述べました。

     会場には、会員たちの持ち寄った日本食が並び、餅つきや獅子舞のほか、武道のデモンストレーション等も披露され、大人も子供も楽しい時間を過ごしました。

    (左の写真の左上が、ご挨拶中の胡摩窪首席領事。 賑やかな会の様子。 写真提供:リヨン日本人会)

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  • リヨン領事事務所活動報告(平成27年2月6日号【第9号】)

     

     在リヨン領事事務所長の小林龍一郎です。

     我が国は、年明けから、あまりにも重すぎる事件に直面した上、残虐卑劣な結果を押しつけられました。私自身、人命を一顧だにしないISILの愚劣野蛮な行為に、しばらく言葉を失ってしまいました。この悲劇に触れずして、活動報告は書けず、筆を執るための心の整理に時間を要しました。総理のお言葉にすべてが凝縮されていますので、ここで再度総理声明を掲載させていただきます。謹んで、被害に遭われた方の御冥福を心からお祈り致します。

         
       

      シリア邦人拘束事案に関する新たな内閣総理大臣声明
      (平成27年2月1日)

      1 湯川遥菜さんに続いて,後藤健二さんが殺害されたと見られる動画が公開されました。御親族の御心痛を思えば,言葉もありません。政府として,全力を挙げて対応してまいりました。誠に無念,痛恨の極みであります。

      2 非道,卑劣極まりないテロ行為に,強い怒りを覚えます。許しがたい暴挙を,断固,非難します。テロリストたちを絶対に許さない。その罪を償わせるために,国際社会と連携してまいります。

      3 日本が,テロに屈することは,決してありません。中東への食糧,医療などの人道支援を,更に拡充してまいります。テロと闘う国際社会において,日本としての責任を,毅然として,果たしてまいります。

      4 このテロ行為に対して,強い連帯を示し,解放に向けて協力してくれた,世界の指導者,日本の友人たちに,心から感謝の意を表します。

      5 今後とも,国内外における国民の安全に万全を期してまいります。

         
          

     2015年1月後半からの当事務所活動報告を以下のとおり述べさせていただきます。

     1月15日(木)は、今月2回目となるクレルモンフェラン方面への出張でした。ピュイ・ドゥ・ドーム県議会庁舎を訪問の上、グットゥベル議長を表敬致しました。その後は、県の観光局の御案内でピュイ・ドゥ・ドームに初登頂致しました。

     グットゥベル議長のお部屋からは、ピュイ・ドゥ・ドームの全貌が目の当たりにできました。その美しさに見とれておりましたら、グットゥベル議長が、実はと話を持ち出されたのが、ピュイ・ドゥ・ドームと富士山の連携の提案でした。ピュイ・ドゥ・ドームは2016年のユネスコ世界遺産登録を目指して目下精力的に活動中とのこと。

     私は、日本の富士山は、単なる山ではなく、古来より霊峰して信仰の対象であり、1872年までには女性は登山が許されず、現在でも8合目から上は浅間神社の境内だという説明をしました。そうしますと、グットゥベル議長は、にやっと笑い、正にそれはピュイ・ドゥ・ドームと同じだ、山頂には、1875年にローマ神殿が発見され(Temple de Mercure)、現在土台部の復旧工事が行われており、ローマより古くはガリア人の南端の領地として、ここピュイ・ドゥ・ドームも特別な山として崇められていたという説明をされました。

     確かに、ピュイ・ドゥ・ドームは、山頂に登りますと眼下に約80の火山口が点在する独特の景観で、標高1464mの単なる山ではないことはよく理解できました。今秋には修復(土台部のみ)が完成する予定の山頂のローマ神殿は、多くの巡礼者にとっての聖地であり、この地方の最大の宗教施設として機能していたようです。また、1848年パスカルが、ピュイ・ドゥ・ドーム山頂で、大気圧の測定を史上初めて行い、その結果、今でも気圧の単位は「パスカル」になっています。現在でも仏における気象観測拠点となっており、福島原発事故の際に、大気中にある微量放射能を観測したのも、このピュイ・ド・ドーム気象観測所だそうです。2012年には、中腹から山頂まで登山電車が開通し、自家用車による山頂までの立ち入りを禁じ、環境保護に努めています。

    (写真左:グットゥベル議長と ©Conseil Général du Puy-de-Dôme )
    (写真右:ピュイ・ドゥ・ドーム山頂にて、左手は観測所、右は電波塔です)

     続いて、クレルモンフェラン近郊にあるボルヴィック市を訪ね、ハムム・ボルビック市長と懇談し、同市観光局で開催される、合谷哲哉氏(JANA)の折り紙作品展の開幕式典に出席させていただきました。

     ボルヴィックは、ミネラルウオーターの出水地として世界的に有名な場所ですが、それも、ピュイ・ドゥ・ドームの火山岩による天然の濾過と大地から染み出すミネラル成分のなせる業であり、特にボルヴィックは軟水成分であり、日本の水に近く、フランス在住の日本人には多く親しまれているようです。お米を炊くときにはボルヴィックを使うというのは、研修生の頃からの知恵であります。

     ボルヴィック市長と話をした際に、水も十分有名であるが、さらに有名なものとして「ボルヴィック石」と呼ばれる粗面安山岩に属する火山岩石を紹介しておられました。ボルヴィック石は、ボルヴィックの採石場で今でも採石されており、古くはこの石を使ってクレルモンフェランのノートルダム教会は作られました。その教会は「黒いノートルダム」として市民に親しまれています。

     市長の御案内で市庁舎及び市内史跡を訪ねた後、いよいよ、合谷哲哉氏の作品展に出席しました。合谷さんは、既に本活動記録でもしばしば登場いただいているので詳しい説明は必要ないと思いますが、フランスと日本の伝統的な紙を利用しながら一枚の紙を鋏や糊を使わず、立体的な動物等を作り上げる手法で、その質感といい作品の表情といい、見事の一言に尽きます。多くのボルヴィック市民に集まっていただき、見事な作品の数々を見学していただきました。お客様からは日本の文化をこうしてボルヴィックのような小さな市にまで紹介して頂けることに対する感謝の言葉と日本文化の深遠さへの感嘆の言葉を繰り返し頂戴しました。

     

    (写真左:ハムム・ボルビック市長との会談の様子)  
    (写真右:左からシモン観光局長、小林、合谷哲哉さん、合谷麻容子さん、ハムム・ボルビック市長)

     1月16日(金)昨年12月19日に正式にオープンしたコンフリュアンス博物館を視察しました。

     コンフリュアンス博物館は、リヨン市が現在最も力を入れている再開発地域であるコンフリュアンス地区を代表する建物の一つであります。この斬新な建物は、「クリスタルの雲」(Nuage de Cristal)と名づけられ、オーストリアのコープ・ヒンメルブラウの設計によるものです。コープ・ヒンメルブラウは、最近ではブローニュの森(パリ)にあるLVMH現代美術館の設計も手がけました。

     なお、「コンフリュアンス」という言葉は、フランス語で「合流」とか「出会い」といった意味があるのですが、これはこの地区がソーヌ川とローヌ川の合流地点にあることから名づけられたそうです。男性名詞のローヌ川と女性名詞のソーヌ川がリヨンで一つになって、男性名詞のローヌ川になって地中海に注ぐわけですが、なんで男性のローヌになるのだという馬鹿な質問(question bete)をしたところ、川の大きさでla riviere(川)かle fleuve(大河) かの違いだけだよとあっさり返答されました。

     コンフリュアンス博物館は、自然史博物館であって、中には恐竜の化石、動物の標本や剥製、民族的な作品などがぎっしり展示されています。オープニング記念展示会ということで、所蔵コレクションであるギメ美術館の展示会が行われておりました。ギメ美術館と言えば、パリのイエナにあるギメ美術館を思い出しますが、大本はリヨンにございます。

     エミール・ギメの父、ジャン・バチスト・ギメは、ギメブルーという青色の染料を開発して財を得ました。染料は、リヨンの主要産業である絹織物の発展の中開発が進み、今でも多くの化学プラントがあるのはその名残です。裕福なエミール・ギメは日本、中国、インドを旅行し、数々の美術品をリヨンに持って帰り、1879年にリヨン第6区にギメ美術館を開館。その後、1889年全く同じ設計の建物をパリに建築しギメ東洋美術館として国家に寄贈しました。ギメ美術館には、若かりし頃のジャック・シラク大統領も通われ、中国文化やがて日本文化を敬愛するようになったという話もございます。

    (写真左:コンフリュエンス博物館の全容です)
    (写真右:左から、小林、ラフォン=クチュリエ・コンフリュエンス博物館館長、アジアコレクション担当のエモンスさん)

    (写真:エミール・ギメが日本各地を旅行したときに外務省が出した通行許可証の原本です。1876年9月1日に発給されたことが解ります。)

    (写真左:ギメコレクションの一つ)
    (写真右:これが、ギメブルーと言われる、青色染料です。)

     1月17日(土)、合気道小林裕和派のコニャール師範のお誘いで、お弟子の方々と夕食を共に懇談会を行いました。

     コニャール師範は、柔道、空手、合気道を極められた武道の達人で、合気道の世界では有名な故・小林裕和先生の弟子として1973年より仕えられ、現在小林裕和氏の流派の正統継承者として、母国フランスを中心に世界各国で弟子の育成に努めておられます。

     私も武道を生涯の生きがいとしてたしなむ者でございますが、食事会場に到着してまず驚かされたのが、屈強な弟子たち5名が寒風の中コートも着用せずネクタイ姿で屹立して私を出迎えてくれたことです。この時点で、コニャール師範の弟子の指導は日本の武道そのものであると思いました。レストランに入りますと、全員が起立して直立不動、こんにちはと声をかけますと、全員が「こんにちは」と返してくれました。どの方がこれだけの教育をされた方なのだろうと周囲を見回しましたら、その中で一人温厚そうに笑顔を湛える紳士がおられ、その方がコニャール師範でありました。この時点で私は一本負けを期しました。

    それまでは、世界中に武道は広まりましたが、日本の武道の道場にある、あのピンと張り詰めた緊張感と異様な威圧感のある雰囲気は、日本以外ではなかなか体験できないと思っておりました。例外的には唯一パリの青坂寛先生が率いる少林寺拳法の道場は正にそういう雰囲気でありました。彼らの礼儀正しく、優しさと強さを兼ね持つ武の心を実践できているフランス人の集団を見て、日本に里帰りしたような気がしました。

    (写真:コニャール師範とその弟子たち。)

     1月24日(土)ローヌ県柔道連盟鏡開式に招待されたので行って参りました。

     フランスの自治制度は大きく分けて、国家・州・県・市(コミューン)と分かれております。柔道はフランスで最も人気を獲得している競技で、競技人口も世界一です。フランス国立柔道連盟の傘下にそれぞれの地方が連盟を設け、柔道場は小さなコミューンに行ってもあります。90%の小学生が柔道を習っているというのも強ち大げさなことではありません。

     ここまで普及した理由には幾つかあるのですが、たまたま2015年2月5日付の毎日新聞で国家資格制度について取り上げていましたので、紹介致します。「フランスが柔道大国となった要因の一つはスポーツ指導者の国家資格制度だ。ほとんどの競技で国家資格が必要で、柔道では55年に導入された。受験資格は18歳、二段以上で事前研修修了者。代表監督に必要な上級では1200時間の事前研修が求められる。」「制度はスポーツ省の監督下にあり、厳格に管理、運用される。研修で教育論、コーチング法が徹底して指導され、試験で指導者としての能力や資質が見極められることで暴力ゼロを実現している。」ということです。フランスの社会制度と講道館柔道の秩序とをうまく両立させていると思いました。

    (写真左:日本を代表して、昇段した柔道家に記念品を授与しました。)
    (写真右:レベルの高い柔道の演武)

    (写真左:ジェラール・アルノー氏が率いる、居合道「リヨン桜会」の演武です。)
    (写真右:左がローヌ県柔道連盟ジェラール・ディローロ会長、小林、ローヌ県オリンピック委員会ジルベール・ラモット副会長)

     1月25日(日)には、今月3回目となるクレルモンフェラン出張で、クレルモンフェラン日本人会(いちご会)の新年会に出席して参りました。ビアンキ・クレルモンフェラン市長以下、同市の幹部の面々も御出席頂き、大いに盛り上がりました。ビアンキ市長は日本が大変お好きだそうで、お雑煮をおかわりしてお食べになっておられました。皆様準備に携わってこられた方、本当にお疲れ様でした。短い滞在でしたが、とても温かい雰囲気に感動致しました。

    (写真左:挨拶をする小林所長。© Justine EMARD)
    (写真右:挨拶をされるビアンキ・クレルモンフェラン市長。© Justine EMARD)

    (写真左:お雑煮に舌鼓をうつゲストメンバー、左端は富士電機フランスの三田副社長、今回はクレルモンフェラン日本語補習校のために、富士電機様から補助金を供出して頂きました。ありがとうございました。子供たちの笑顔があるのは皆様のおかげです。© Justine EMARD)
    (写真右:ビアンキ市長(中央)と櫻井いちご会会長(右)です。お疲れ様でございました。© Justine EMARD)

    (写真左:楽しい会の様子。© Justine EMARD)
    (写真右:日本文化紹介、楠日本語補習校校長による茶道のお点前もありました。© Justine EMARD)

     1月28日(水)2年に1度当地で行われる、食料見本市「シラー」を視察して参りました。

     コンペティションでは、パティシエ部門で我が日本チームが堂々の第2位を獲得しました。関係者の方々には心よりお祝い申し上げます。和食に関する関心は高く、広島等各地の日本酒地酒コーナー、徳島のお野菜、そして外国人にも食べやすく開発された納豆の紹介、フォアグラのソテーと和えて試食させていただきましたが、そのマリアージュの見事さに感嘆の声を上げました。リヨンは、食の都と称されるグルメの町でございますが、既に2名の日本人シェフがそれぞれフレンチレストランでミシュランの一つ星を獲得されておられます。

     遙か昔、辻静雄氏が、ポールボキューズ氏を日本に招待され、日本の懐石料理を紹介、小皿の上で咲く花のような和食の色彩にポールボキューズは大いに触発され、今のヌーベルキュイジーヌに至ったとお聞きしました。日本の魅力は丁寧さにあり、食材を栽培される方も、実際に料理を作られる方も、同じ丁寧さで、それを食される方の思いを忖度しながら、日本のお料理はできあがってまいります。まさに日本文化の一つの象徴であって、フレンチの世界に活動の場所を移しても、その哲学は脈々と引き継がれているのであり、一皿一皿に込められた職人の思いを味わうのが日本のお料理の食べ方なのでしょう。

    (写真左:森永牛乳配給(株)のブースで「かりんとう饅頭」をイグリさんと)
    (写真右:納豆の粘りを減らした新製品を茨城納豆のブースで試食)

    (写真左:広島県のブースで日本酒を。最後に一部日本酒を領事館に寄贈して頂きました。外交業務にしっかりと使わせていただきます。後刻茨城の白菊様からも御提供頂きました。)
    (写真右:見事パティシエ部門で2位を獲得した日本チーム ©LeFotographe )

     2月4日(水)、岩手にある久慈ファームが、リヨンのソーセージ会社のSIBILIAに3週間技術研修生を派遣しております。今日は、リヨンの常設市場レアール・ドゥ・ポール・ボキューズのSIBILIAを訪問し、マダムに研修受け入れの御礼とご挨拶をさせていただきました。レアールのSIBILIAに参りましたら、日本の国旗がいたるところに掲げられておりとてもうれしく思いました。

     ソーセージはフランス語ではシャキュトリーと言いますが、リヨンはまたその本場であります。SIBILIAの創業は1925年、熟練の技術で作り出されるシャキュトリーは、グルメなリヨンっ子の胃袋を満足させ続けて90年になります。 この味に魅せられた久慈ファームは、初めてリヨン老舗店で技術研修を受けることを決意しました。SIBILIAの工場で働く下斗米康宏さんを、さっそく激励に参りました。想像している以上に近代的な設備と徹底的な衛生管理で作られるソーセージたちはどれもこれもが美味しそうに見えました。

    (写真左:左からブリュノ・ブラウンザー現オーナー、コレット・シビリア元オーナー、小林)
    (写真右:極上のソーシッソンに思わず顔がほころびます。)

    (写真左:SIBILIAの加工工場で研修中の下斗米康宏さん)
    (写真右:左から、本件の功労者アルフェリスの佐藤大輔さん、中央小林)

     2月4日(水)には、ジャン・ジャック・ケイランヌローヌ=アルプ州議会議長を表敬し、2月6日(金)ジャン=ポール・モーデュイ・ローヌ=アルプ州商工会会頭をそれぞれ表敬しました。リヨン地域での主だった方へのご挨拶はこれでとりあえず全て行ったことになります。これから築いた人脈をフルに活用して、活発で、元気な外交を展開していきたいと思っております。2015年もがんばります!

    (写真:ケイランヌ・ローヌ=アルプ州議会議長と)

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  • リヨン領事事務所活動報告(平成27年1月15日号【第8号】)

     

     在リヨン領事事務所長の小林です。7日から仏全土を震撼させたテロ事件では、多くの尊い命が犠牲になりました。心から犠牲となった方々の御霊の安らかなることをお祈り申し上げます。

    安倍総理大臣発オランド仏大統領宛メッセージ(2015年1月8日発出)
    パリで発生した銃撃テロ事件により、多数の死傷者が出たとの報に接し、大きな衝撃と憤りを禁じ得ません。このような卑劣なテロは如何なる理由でも許されず、断固として非難します。ここに日本国政府及び日本国民を代表し、全ての犠牲者及びその御家族の方々に心から哀悼の意を表すると共に、負傷者の方々に心からお見舞い申し上げます。この困難な時に、日本はフランスと共にあります。

     2015年が開始しました。悲しい幕開けとなりましたが、我々も仏との連帯の精神で乗り切っていきたいと思っております。2016年1月1日には、フランスの地方自治制度改革が実施され、オーベルニュ州とローヌ=アルプ州が合併し、オーベルニュ・ローヌ=アルプ州が誕生する予定となっています。これは、ちょうど当事務所の管轄地域と符合致しますので、当事務所としてはより一体感のある外交活動ができるものとしてこれを歓迎しています。

     実はこの地域、よく考えますととてもユニークな地域であることに気が付きます。フランス第二の都市リヨンを控え、イタリアとスイスに接し、モンブラン・トンネル、トリノ・トンネルという陸路の動脈を持ち、リヨン・サンテグジュペリ空港は地方ハブ空港として規模を拡大しようとしています。スマートシティ構想はリヨンやグルノーブルで実証実験が進み、クラスターは15箇所、競争力拠点も15箇所に上ります。それでいて、食の都であり、山あり川あり湖あり休火山ありスキー場あり温泉あり、ないのは海ぐらいです。

     ということで魅力あふれるこの地域をもっと日本の方に知っていただきたく、またあまり知られていない観光穴場スポットもたくさんございますので、今年の活動記録は、そういった点も積極的にこの場に掲載してこの地域を積極的に御案内させていただけたらと思っております。

     1月6日(火)から、クレルモンフェラン方面に出張に参りました。クレルモンフェランは、20年前の研修中に何度か訪れたことがございますが、近年リヨンと結ぶ高速道路が開通し、今ではリヨンから2時間足らずで行くことができます。途中、落ち着いた牧歌的なオーベルニュらしい風景が車窓から窺えます。

     クレルモンフェランのオリビエ・ビアンキ市長と、日本とクレルモンフェランの長い友好関係について議論をしました。オリビエ・ビアンキ市長は親日家であり、また本年には念願の初訪日の機会があるようで、ミシュランの緑ガイドの日本版を手にしては、毎晩旅行のプランを練っておられるそうです。今月末にはクレルモンフェラン日本人会(いちご会)の新年会があり、そこにゲストとして出席して下さるとか。クレルモンフェランクラスの現役市長が日本人会の集いに出席して下さるのは極めて稀だと思います。普段のお付き合いの賜物でございましょう。新年会には私も出席させていただくことにして、再会を誓いその場を後にしました。

     続けて伺ったのは、約二時間東南方向に移動したところにある、アンベールという市です。人口約7000名の郡庁所在市です。ここで御挨拶させていただいたミリアム・フジェール市長は、2014年4月に就任、とっても活動的な女性市長で、日本からのお客様のお越しをお待ちしていると言っておられました。アンベールは、欧州最古の手漉き紙の町のひとつとして有名で、「細川紙」の産地である埼玉県東秩父村と姉妹都市友好憲章を結んでいます。市庁舎の中には東秩父村から贈呈された日本人形が大切に展示されていました。アンベールの手漉き紙は、ノーベル賞の賞状に使われているそうです。

    (写真左:クレルモンフェランのオリビエ・ビアンキ市長と)
    (写真右:アンベールのミリアム・フジェール市長と(左から二番目)。アンベール市庁舎は欧州でただ一つの円形庁舎です。)

     同日夜には、クレルモンフェラン市内で活躍する日本人の方々と懇親会の機会を持ちました。皆さん、それぞれ、ここフランスで、それぞれの問題意識とミッションを持って懸命に努力されています。そのお姿に、勇気と元気を頂戴しました。 皆さんこれからも、日本とフランスのために頑張って下さいね。

     

    (写真左から:SBトラデュクションの江東さん、生物学研究者で日本の大学で講師として帰国される村西さん、小林、折紙創作作家の合谷哲哉さん、それにブリジストン・アンカーサイクリングチーム監督の水谷さん、さらに火山研究者の古賀先生、JANAの合谷麻容子さん。)

     1月7日(水)ミシュラン本社を訪問させていただきました。ミシュランと日本の関係は長く、1964年の東京オリンピックに際して開業した羽田と浜松町を結ぶモノレールのゴム車輪にミシュランのタイヤが使われたのが日本市場への初登場だそうです。日本には群馬県太田市に研究開発センターがあります。日本ミシュランタイヤは、工場は閉鎖しましたが、今後は研究開発拠点としての役割を強化させていかれるとの説明でした。タイヤの発明の起源は、やはりミシュランで、馬車の乗り心地が悪いということで初めにゴムの固まりを車輪にはめて、これは世紀の大発見ということで次々に実用化が進みました。そのゴムは仏領インドネシアからほど近いタイで生産されたそうです。因みにタイヤの溝というのもミシュランが発明しました。下の写真にありますように、最初はミシュランの「M」という文字が道路に残るのが宣伝になるからという思い付きでつけられたそうです。

     ミシュランと言えば、ミシュランガイドで有名ですが、ミシュランガイドのセクションはパリにあるそうです。ミシュラン創業者の理念は、ユーザーであるドライバーのために何ができるかを真剣に追及する、ということで、どことなく日本のおもてなし精神と一脈通じるものを感じました。ミシュランはドライバーが道に迷わないように自ら道路標識を作ったり、地図を作ったり、ミシュランガイドも実はあれはドライバーのことを考えて作られたガイドブックだったりします。ですので、車でしか行けないレストランが掲載されているというのは、フランスを旅行した日本人の誰もが気付くことです。赤ミシュランと緑ミシュランはいつの時代も、週末ドライブには必携です。ミシュランは、クレルモンフェランの日本語補習授業校に対する支援も行っています。今後とも、日仏企業間交流がさらに進むことを期待したいと思います。

    (写真左:左からレミ・ド=ヴェディヤック ミシュラン・フランス社長、ジェラール・デュエム クレモンフェラン所長、アントワン・ソートゥネ担当官)
    (写真右:世界一大きなタイヤはミシュラン製です。)

    (写真:ミシュランの記念館(l’aventure MICHELIN)では、ビバンドム君と記念写真が撮れます。)

    1月10日(土)は、ローヌアルプ州柔道連盟の新年鏡開式に出席して参りました。御存じの方も多いでしょうが、フランスは柔道人口70万を超える世界一の柔道大国です。日本で20万人程度ですから約3倍の競技人口を抱えます。ここローヌ県は仏国内では三番目に柔道が盛んなところで、今年の鏡開式は、ジャン=リュック・ルジェ仏柔道・柔術・剣道連盟会長、カトリーヌ・アルノー選手(87年、89年56kg級の世界選手権チャンピオン)他150名の柔道家が参加されました。

     日本の武道である柔道がここまでフランスで普及したのは、50年に亘り柔道を教えてこられた粟津正蔵先生の存在なしには語れないと思います。個人的にお慕い申し上げており、現在もパリに御在住です。ルジェ会長と話をしていて、日本の心、武道の心は闘争心が基本にないと言われてはっとしました。彼は山下泰裕さんと現役時代何度も戦って一度も勝てなかったそうで、ただし、勝負の時の山下さんは、いつもとても穏やかだったのが印象的だったと語っておられました。

     柔道の精神は、嘉納治五郎の残した「自他共栄」に集約されており、その精神は、技の中に、そして勝負の中にこそ生きてくる、それが武道の深みであると思いました。鏡開式では、先のテロ事件について犠牲になった方々の冥福をお祈りすると共に、柔道家であった3名の警官の霊を悼み、全員で一分間の黙祷を行いました。

     

    (写真左:鏡開式での総稽古の模様。まるでそこは日本の空間でした。)
    (写真右:模範演武で大技「肩車」を見事に決める女子高生柔道家)

    (写真左:日本を代表して挨拶をする小林所長、武道とスポーツの違いについて述べました。)
    (写真右:左はカトリーヌ・アルノーさん、山口香選手と名勝負を演じました。右はジャン=リュック・ルジェさん、75年フランス人で史上初めて世界選手権で優勝しました。なお、小林所長は少林寺拳法4段の腕前です。)

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