領事関連・新着情報

最近の行事報告

  • リヨン領事事務所活動報告(平成26年11月12日号【第4号】)

     

     在リヨン領事事務所長の小林です。リヨンはぐずついたお天気が続いておりますが、日一日と朝晩の冷え込みとともに日照時間が短くなり、冬の訪れを感じさせます。街路樹の枯れ葉が小道を覆い始め、テット・ドール公園には美しい紅葉が広がっています。懐かしい故郷の山々を思い出さずにはいられません。

     11月3日(月)リヨン市南部に隣接するイリニー市のJTEKT Automotive LYON(JALY)を訪問させていただきました。JTEKTは、主に自動車のステアリングの製作開発を行い、プジョー、シトロエン、ルノー、日産他にパーツの供給を行っておられます。高橋伴和JTEKTヨーロッパ社長、木村勉 Executive Director、Michel DURY JALY社長の御説明を受けて驚いたのが、日本の企業文化であるKAIZENの徹底です。フランスの幹部スタッフ全員が、「5S」「可動率(BEKIDORITSU)」「直行率(CHOKKORITSU)」「やり終い(YARIJIMAI)」といったタームを自由に扱い作業効率の改善に徹底的に取り組んでおられ、モノ造り日本のノウハウが、フランスで応用され実践されている現場に触れることができました。

     御説明によると、製造ラインを1m短くすることで生産に係る時間が1秒短縮されるということで、その結果、時間の節約は可動率を押し上げることに影響するとのことです。そのためにJTEKTでは、からくり(KARAKURI)という製造技術開発ユニットを設け、ラインを短くするために、様々な工夫をしてこられました。私の方から、フランス人のからくり技術者の方に、江戸時代の名工田中久重のからくり人形の話を持ち出しましたら、「よく知ってますよ」と笑顔で返されたのには驚きました。様々な努力で、2009年に83.5%だった可動率は、2014年には実に95.1%に改善されたとのことでした。

     リヨンはパリに負けず劣らず芸術の街であり、多くの日本人アーティストが活動をしておられます。在リヨン領事事務所のミッション3本柱の一つは文化外交です。それは、一方においては日本文化の正しい紹介、優れたコンテンツを生かした世界に誇るべき国「日本」の宣伝であり、他方おいては日本人アーティストの活動を側面支援することです。そのためには、パリにある日本文化会館(国際交流基金)との連携も一層模索していかねばなりません。

     11月6日(木)は、御招待を受けましたので、リヨン市内の画廊通り(rue Burdeau)で行われた、2名の日本人アーティストのベルニサージュに夫々出席させていただきました。

     日本人アーティスト立川素子さんの素晴らしい作品は、ベス麻里さんの画廊「Galerie48」一杯に飾られており、蘭をモチーフにそれらの作品からは花の香りが漂ってきそうな気がいたしました。また、正岡子規等の俳句を題材に作られたアーティストブックはポンピドーセンターをはじめ、仏国内の多くの図書館に所蔵されているとのことでございました。(写真左: 中央が立川素子さん)

     また、同じく日本人アーティストMIKI NAKAMURAさんは、ユネスコの無形文化遺産への登録が期待されている和紙を用いた芸術で、指先を使って和紙を丁寧にほぐし伸ばしていき、見事な作品に作り変えていきます。画家である御主人様とのコラボも大変素晴らしく、来られていたフランス人からは一様に感嘆の声が漏れていました。(写真右)

     同じく11月6日(木)、Vaulx-en-Velin市立Charlie Chaplin文化センターで行われた、日本人振付家、後山阿南さんの主宰カンパニー「AToU」の新作「Mille Oasis」の公演に、御招待を受け出席させていただきました。また、この機会に、茶道のデモンストレーションと翌7日(金)に石田郁男氏による俳句と短歌の講演会もあわせ行われました。リヨンは、コンテポラリーダンスの世界ではメッカの一つになっており、隔年9月には、リヨン・ダンス・ビエンナレが開催されます。2012年から稀代の振付師ドミニク・エルヴェ氏が芸術監督となり 、今年は30万人が鑑賞、グランドフィナーレには、エルヴェ氏の即興の振付で1万人以上が一緒にダンスを行うという大スペクタルであったとか。後山阿南さんのダンスは、門外漢の私にも十分伝わるほど情熱的で躍動的で切なく複雑でした。台詞はなかったはずなのに、しばらくの間芝居を見たような余韻が残ったのは、表現力が言語を超越していたからなのでしょうか。

     11月8日(土)、リヨン小原流いけばな協会と当事務所が共催で実施する、いけばな展示会「Fleur d’Or Lumière d’Automne(菊―秋の光)」のベルニサージュに出席致しました。リヨンいけばな協会の歴史は古く、1972年にリヨン隣接市カリュイール・キュイール市に設立され、リヨン地域で一番長い歴史を持ついけばな協会として、いけばなの普及・促進に努めてこられました。現在会長を務めておられるMme Mireille MARTINは、小原流4級家元教授資格所持者です。いけばながなぜこれほどまでにフランス人の心を捉えるのか、出席された方にお尋ねしたら、哲学的だからという答えが返ってきました。調和的であり、禅に繋がる心の動き、草花への愛情、対象への心配り、そういうことを言っておられるようです。私も挨拶の中で、「花は心の鏡」という言葉を紹介し、いけばなの深さを御説明するとともに、日本人の美意識について解説致しましたが、どれもこれも皆様には周知の事実であったようで、知ったかぶりもほどほどにせねばと、赤面してしまいました。

    マルタン会長(写真右)とコシェ国民議会議員兼カリュイール・キュイール市長(写真左)、見事な龍のいけばなです。

     今回の展示会は「菊―秋の光」とあるように、菊をフィーチャーした展覧会でした。菊は天皇家の御紋であり、日本では特別の花であるということをお話しましたら、フランスでも同じですと。11月、日本ではお彼岸に菊のお花をお供えすることが多いですが、同じ11月にフランスでもトゥッサンというお彼岸に似た行事があり、そこで使われるのは専ら菊だそうです。さらに、フランスでは菊の交配についても大変熱心で、日本では見たことのないような様々な種類の菊が紹介されていました。

     また、同席頂いたカリュイール・キュイール市のフィリップ・コシェ市長は、国民議会議員を兼任されており、国民議会議員で作る日仏友好議員連盟のメンバーでおられます。前日の7日(金)に表敬訪問をさせていただいたところ、我が国に対する並々ならぬ友情と敬意、そして関心を述べておられました。カリュイール・キュイール市は、閑静な住宅地が広がる静かな町です。この町を有名にしたのは、レジスタンス運動の指導者であり、フランス人の誇りである、ジャン・ムーランが、この町でゲシュタポに捕まったからでしょう。今でもその家は博物館として保存されているそうです。ゲシュタポの拷問に耐えたジャン・ムーランは、ベルリンへの移送の車中で絶命、後に、シャルル・ド・ゴールは、ジャン・ムーランに敬意と栄誉を表し、国葬で彼の死に報いました。

     11月8日(土)午後から、リヨン郊外のコンベンションセンターで2日間に亘って開催された「JAPAN TOUCH」に行って参りました。JAPAN TOUCH は、今回で16回を数えるもので、別称でSalon de l’Asieと名打っております。主催者のJean-Pierre GIMENEZさんのお話を伺うと、2013年は入場者数23000人、今年は30000人を越えるだろうとのこと。スタッフは総勢150名で殆どがボランティア、そういうこともあって、これ以上大きくすることは考えていないとか。形態は欧州最大の日本コンテンツイベント言われるJAPAN EXPOと酷似しており、伝統的なものからポップカルチャーまで、正にありとあらゆる日本文化のコンテンツが紹介され、また商品として販売もされています。説明によると、他のアジア諸国のものは、比率で言って3割程度、大半が日本のもの。目に入ってきたものだけでも、盆栽、和服、ラーメン、日本酒バー、たこ焼、お好み焼き、焼きそば、座布団、マンガ、アニメ、カラオケ、折り紙、書道、コスプレ、ゲームカード、合気道、柔道、空手、チャンバラ、日本をテーマにしたファッションショー、日本刀、武具、相撲大会、ゲームセンター等々、フランス人の我が国への関心の高さは計り知れません。この熱気をなんとかして外交で使えないか、会場を歩きながらずっと考えていました。

     御家族連れも多く、お父さんはマジンガーZやグレンダイザー、ガッチャマンで育ち、お母さんはキャンディキャンディ。そして彼らの子供は、NARUTOやONE PIECEに夢中であるといった二世代に亘るアニメファンもおられるようです。また、日本の領事と聞いて、どうしても日本語を勉強して日本に住んでみたいと懇願する若者もおられました。フランス人が愛する宮崎駿監督の世界観で言えば、カリオストロは南仏に必ずありそうな町であるし、ハウルの動く城はコルマールの街そのもの、そういう身近さが受けているのではなく、日本独特な雰囲気、例えば千尋が働いた温泉旅館やもののけ姫のシンとした森の雰囲気、これがフランス人の心を捕らえて離さないのではと思いました。日本に対する関心、日本文化に対する憧れ、日本語を使いこなしたい、そういうフランス人は世代を超えて増えています。在リヨン事務所では、一人でも多く日本ファンを増やしていきたいと考えており、コンテンツ外交をいかに展開していくか、今後検討を重ねていきたいと思っています。

    (写真:左)主催のジムネズ氏と、福岡から来られたMISS JAPONのお二人。MISS JAPONは2000年から日本の和服を通した日本文化の紹介をされており、昨年のJAPAN TOUCHにも参加されたとのこと。また来年もリヨンでお会い致しましょう。

     11月11日(火)は、第一次世界大戦の戦勝記念日として、フランス全土で祝日になるとともに、第一次世界大戦で犠牲になった方々への御冥福をお祈りする行事が各地で行われます。リヨンでも、ジェラール・コロン市長主催の行事がテット・ドール公園で行われ、招待を受けたので出席して参りました。トリビューン(貴賓席)に到着し、日本の席として案内されたのが中央の前から2列目というVIP席で、他所の国の総領事を押しのけて私ごときがと躊躇しましたが、指定席なのでやむなく着席しました。ラ・マルセイエーズ斉唱、退役軍人への褒章、要人挨拶等々と行事は進みました。その間、様々なことが脳裏をよぎりましたがある記事のことを思い出し、カクテルもほどほどに事務所に戻って保存していた記事を探しました。それは、以前パリ勤務時代によくお話を伺った産経新聞の山口昌子記者がお書きになった記事で、第一次世界大戦末期に、日本は日英同盟を受け、地中海に海軍を派遣、マルタ島には70余名の日本海軍の戦没者を祭った墓碑がある、という内容のものでした。たかが席の順番ですがされどの世界が外交。長い歴史の延長上に今の自分たちがおり、繁栄を享受しているということを改めて思い知りました。そして、二度と我が郷土を焦土にさせない、とのいつもより強い口調のコロン市長のスピーチに込められた思いを自分なりに共有しました。第一次世界大戦のフランスの戦死者は約140万人(当時人口4000万人)、フランス各地を旅すると、各村に第一次大戦従軍兵の墓碑があることに気が付きます。

    11月12日(水)、ジェラール・コロン・リヨン市長(兼上院議員)を表敬訪問し、着任の御挨拶をしました。これからのリヨンと日本との関係について意見交換をさせていただきました。

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  • リヨン領事事務所活動報告(平成26年10月31日号【第3号】)

     

     在リヨン領事事務所長の小林です。当事務所の10月後半の活動の様子を御案内させていただきます。早いもので、今年も残り2か月、リヨンでは10月半ばまで比較的温かい日が続いていましたが、霜月が近づき、落ち葉の数も増え、朝晩には寒さも感じるようになってきております。日本では木枯らし一号が吹いたようですね。フランスでは、先般冬時間に変わり、本格的な冬がもうそこまで来ています。

     10月18日(土)、リヨンに隣接するビルバーヌ市の日本語補習授業校を訪問させていただきました。日本語補習授業校は、日本人学校がない国や地域において、日本人子女教育の一環で、日本語の補習授業を行うものです。在外に住まれる御家族にとっては、大変貴重な存在で、補習授業校の授業にかかる経費負担の一部助成を日本政府は行っています。リヨン地域の邦人数は年々増加傾向にあり、現在既に3200名を超えています。リヨン事務所管内には、リヨン補習授業校、リヨン・ジェルラン補習授業校、グルノーブル補習授業校と3つの日本語補習校があり、今回はリヨン補習授業校に招いていただきました。

     リヨン補習授業校は約60名の児童生徒を抱えます。小学校準備学級から中学校まで全ての教室をお邪魔して子供たちと楽しくお話をさせていただきました。御案内頂いた北田千雅子校長先生、マレ比彩乃先生のお話では、生徒の数が年々増えてきているようで、増加傾向を担っているのは主にビジネスマンの海外赴任であり、世代的にも小さなお子様をお持ちの御家族が赴任されてこられるケースが多いとのことです。フランス第二のビジネス中心地である当地リヨンでは日本語補習授業校は今後益々その役割が求められていきます。

    (写真左:生徒さんからインタビューを受け、楽しい時間を過ごしました。)
    (写真右:小林所長からは、外交官という仕事について説明をさせていただきました。ちょっと難しかったかな?)

    (写真左:準備学級の生徒さんに優しく指導される先生の純粋さとそれに応える子供達の笑顔が印象的でした。)
    (写真右:目の不自由な方への労りの気持ちを仮想体験通じて学んでいるところです。)

     10月19日(日)、フルム・ド・モンブリゾンというブルーチーズで有名なモンブリゾンで「第3回漫画・コスプレ祭」が開催され招待を受けて行って参りました。モンブリゾンはリヨン西方75キロにあるロワール県のコミューンで、人口16000名ほどの小さな町ですが周辺地域の中高校生がモンブリゾンの学校に通うため、昼間は一気に若者人口が増えます。3年前から、若い世代をターゲットに実施されてきたこのお祭りですが、規模が年々拡大し、今年は2日間にわたり延べ1400人の入場を数えるまでに成長しました。

     内容も、モンブリゾン出身で日本滞在歴もある漫画『HEAT-TRICK』の原作者シャザル兄弟のサイン会から、コスプレ大会、合気道の演武、書道教室、オーヴェルニュ日仏協会(JANA)副会長で折り紙創作家の合谷哲哉さんによる折り紙教室や同協会会長の合谷麻容子さんによる俳句教室、ゲームコーナーや無料指圧マッサージコーナーまでございました。ここでは若者を魅了する日本文化のコンテンツの奥の深さと幅の広さを染み染みと感じました。文化外交はコンテンツと発信手段の掛け算だという話を聞いたことがございます。日本はコンテンツについては問題ないわけで、後はそれをどのように発信させるかということが鍵になると思いました。

    (写真左:この祭の為に作られた手作りの日本庭園)
    (写真右:バジル・モンブリゾン市長とブルトン・サヴィニュー市長に、折り紙技術が人口衛星の折りたたみ太陽パネルにも応用されていることを説明)

    (写真左:コスプレ大会に出場されたコスプレイヤー達と、左はバジル・モンブリゾン市長、右はブルトン・サヴィニュー市長)
    (写真右:日本語の奥深さを流暢なフランス語で説明する合谷夫人、皆さんとても真剣な眼差しです)

     10月20日(月)、リヨン市コンフリュエンス地区(市南部の再開発地域)をTOSHIBAJessica BOILLOTさんの案内で視察致しました。同地区では、スマートシティの実証実験が行われています。その中でも注目されるのが、NEDO(新エネルギー・産業技術総合開発機構)とTOSHIBAが行う、隈健吾氏設計の複合エコビル「HIKARI」の実証実験です。来年5月の開始に向けて着々と準備が進んでいます。御説明によると、一般的な都市において、家屋・建築物による消費が全エネルギー消費量の約70%を占めており、ここをできるだけ抑え込むことで、効率的な省エネが実現するということです。リヨンが進める「グラン・リヨン計画」とオランド大統領が進める環境政策がリンクして、2020年以降を見据えた大変パワフルなエネルギー政策となっています。「HIKARI」では、全使用エネルギーの15%を太陽光から取り込み、83%を木材使用のコージェネレーションで暖房と発電をまかなう、エネルギー使用量より発電量の方が大きい世界初のポジティブ・エネルギー・ビルとのこと。その上で、各戸にノートパッド(スマートボックス)を設置し、各戸毎の電気、水道、ガスの使用の可視化を行なう、正に徹底したエコ環境であり、正しい近未来の姿であろうと思います。あるフランス人の、「日本人は日本に対して悲観的過ぎる、こういう技術力は日本が最先端であり、近未来型エコ社会のモデル提示が可能な国は日本なんだ」、という発言を聞いて、とても元気が出ました。

    (写真左:コンフリュエンス地区のビル、斬新過ぎて万博パビリオンのようです。)
    (写真右:後ろが建設中のHIKARI、隈健吾先生の設計です。)

     10月24日(金)、パリ出張から戻った翌日で体力的には厳しいところでしたが、お誘いを受けましたので、アン県のブレ(リヨン市から東方70キロ)を訪問、ジムネーズ・ブレ市長を表敬し、同市にお住いのトゥフレ夫人の御自宅に招かれ、手作りのお昼ご飯を御馳走になりました。トゥフレ夫人は、長く同地方の日仏協会の会長を務められ、2011年には外務大臣表彰、2013年には仏の国家功労賞を受賞された日仏交流では大変な恩人でございます。

     ブレ市は、美食家ブリヤ・サバランの出身地で有名なところで、市内にはサバランの像が建立されています。その像を見ていると、口をへの字に結んだサバランが、「ふだん何を食べているのか言ってごらんなさい、そしてあなたがどんな人だか言ってみせましょう」という有名な言葉を言い出しそうです。因みに像の周りを囲む子供たちは、この土地の特産物であるワインとジビエと鱒を手にして踊っています。

    (写真左:ブリヤ・サバランの像の前で日仏交流の功労者トゥフレ夫人と)
    (写真右:リヨン商工会議所のボールルームの天井壁画。リヨン発展歴史を見事に語っています。ここは欧州最古の証券取引所です。)

     10月27日(月)は、幾つか表敬をこなした後、リヨン経済開発公社のドゥ=シリー総裁、そしてリヨン・オペラ座ドルニィ支配人にお会いして色々とお話を伺うことができました。リヨン開発公社はリヨン商工会議所の内部組織で、リヨン地域への海外投資の促進や、産業政策提言を行っています。リヨンは、欧州最古の金融取引所があり、古くから絹を代表とする織物産業の中心地として栄えました。同総裁の案内で商工会議所内を視察致しましたが、その際ボールルームの天井画について説明を受けました(右上)。お解り辛いかもしれませんが、絵の下方中央にライオンが左向きに座っており、そのライオンは、リヨンの象徴です。ライオンの左に横たわる女性は女性名詞であるソーヌ川(la Saône)を現し、右に横たわる男性は男性名詞のローヌ川(le Rhône)を表します。そのソーヌとローヌが交わるところにリヨンが生まれたということを意味しています。そして、その上に向かい合っている人物の左側は中国人で、右側がリヨン人だそうで、絹の交易は古くシルクロードに遡ります。

     今年、富岡製紙場が世界遺産指定を受けましたが、1872年に官営模範工場として設立した当初の技術指導をしたのはリヨン近郊ボネ絹織物工場の技術者たちでした。近代日本の殖産興業の主要輸出財は絹であり、絹が結んだ日本とリヨンの関係は強靭なものとなり、明治17年(1884年)に在リヨン領事館が開設、昭和9年(1934年)に閉館するまで重要な役割を果たました。そして、2003年1月に在リヨン出張駐在官事務所として、約70年ぶりに日本政府の外交機関が再設置され、2014年8月には名前を在リヨン領事事務所と変え、今日に至ります。

     私ども一同、邦人社会に密着した領事事務所を目指しておりますところ、リヨン近辺にお住まいの方、リヨンを旅行中の方、街中でこの看板をお見かけになったら、どうぞお気軽にお立ち寄りください。外国でひっそりと佇む日本がそこにはございます。

     リヨン管内には、多くの日本企業が存在し、現在140社を超えております。当事務所の重要ミッションのひとつとして、日本企業支援を挙げており、リヨンという経済・産業の中心地と日本がさらに関係を強化していくために、多くの方と意見交換をし、知恵を絞り、具体的な行動を重ねて参ろうと思っております。

     これまで、10月9日(水)にダイキン・ケミカル・フランスを訪問、入江正樹技術部長の御案内で工場を視察し、意見交換をさせていただき、10月21日(火)には、ミヨシ・ヨーロッパを訪問、高橋哲也技術部長の御案内で化粧品の基礎素材の工場を視察しました。同日午後には、住友ケミカルを訪問、藤本光昭企画技術部長他と長時間に亘る意見交換を行いました。

     10月28日(火)には、進出日系企業最大手の一つ東レ・フィルム・ヨーロッパ(TFE)を、松本新吾副社長の御厚意で訪問させていただきました。フランスやヨーロッパ各国で口にする袋菓子の包装袋はここで作られてヨーロッパ中に出荷されています。コンピュータ制御されたヨーロッパ最大と言われる巨大なラインを通ってアルミ蒸着されたビニルが作られていくさまは、モノづくり大国日本の本領発揮ということで、唸る機械に逞しさを感じました。約500名のフランス人が働くこの工場では、日本的な運営管理が実施されており、工場内は整理整頓いわゆる5Sが徹底されています。それだからこそ、ミクロン単位の作業が可能になるわけで、140年経って今度は日本の技術がフランスで開花したのだなと思い、日仏交流の深さを実感することができました。

    (写真左:東レの皆様と御一緒に記念写真を撮らせていただきました。左端が松本副社長、中央が寺本正行副社長です。)

     

  • リヨン領事事務所活動報告(平成26年10月15日号【第2号】)

     

     在リヨン事務所長の小林龍一郎です。お陰様で着任して1箇月が経過致しました。海外転勤が多い外務省の職員の間では、新しい土地に自分が馴染んでいく節目を「3日-3週間-3箇月」と言うことが良くあります。 私の場合も同様に、3週間目を超えた当たりでちょうど新居も整い、朝食を取りながら窓の外の景色を眺める余裕が出てきました。私にとって3箇月目はちょうど年の瀬に当たる頃でしょうか、何を思って今年を終えることになるか、後悔のないように今この瞬間を粗末にせず、日々職務に専念したいと思っています。

     順調に日程をこなし、在留邦人の皆様や地方自治体の関係者への御挨拶や集会や文化行事での突然のスピーチ依頼にもかなり慣れて参りました。フランス語は使っているうちに思い出すもので、万事、場数がものを言うものだと最近つとに感じております。 今でも時々見る悪夢がございます。約二十年前、在外語学研修をリヨンで行った頃の話です。生まれて初めて単身放り込まれたフランス人の夕食会で、完全なアウェイの中、話題が何なのかさえ理解できず、話に割り込む語学力も勇気もなく、ひたすらパンをちぎって丸めていました。 そしてその夕食会では、最後までパンの形が変わることはあっても、テーブル・ランゲージがフランス語以外の言語に変わることはありませんでした。社交とは実に厳しい世界です。あの恥ずかしい思いを二度と繰り返したくないという気持ちが、それ以後の語学の励みの原動力になったようです。

     10月7日(火)茶人森宗勇先生がリヨンを訪問され、リヨン第三大学で茶道についての講演及びデモンストレーションを、渡辺園子さんを始めとするリヨン日本人会の協力を得て開催、大盛況に終わりました。リヨン第3大学には日本語学科があり、多くの生徒に集まっていただきました。講義に耳を傾ける学生の真剣な眼差しが印象に残りました。学生に話を聞くと、茶道と禅の密接不可分な関係を理解した上で、その精神性、哲学的側面に関心が集中しており、フランスの日本文化への理解の深さは計り知れないと強く感動しました。

     森先生がお茶を点てる時には、文字通り全員が息を殺し巨大な静寂が訪れます。私は、ここが100名を超える生徒が集う大教室ではなく、日本の茶室にでもいるかのような錯覚を感じました。私からは、日本の文化ともいえる「おもてなしの心」は、茶の湯の精神でもある「一期一会」から来ているということを学生に説明しました。

     10月11日(土)には、在リヨン日本人会総会が開かれ、出席して参りました。リヨン領事事務所所管地域の在留邦人数は平成26年度統計で3100名を超えており、その多くがリヨン市周辺に在住しておられます。 縁あってここリヨンで一緒に暮らす日本人同胞の皆様が豊かで安全な暮らしを送られますように、在リヨン領事事務所は一生懸命お役に立ちたいと思っています。最近の傾向としては、日仏のカップルがとても多いということです。 フランス社会に飛び込み大和撫子として奮闘しておられる日本人女性、あるいはフランス人の奥様と一緒に幸せを掴もうと頑張っておられる方々、そして可愛らしい子供たち、彼らを見ていると、日本とフランス両国の友好の結晶を目の当たりにしているような気がいたします。 日本人がフランス社会で生きていくには、当然数々の御苦労がおありと想像しますが、どうか末永くお幸せをと願う気持ちでいっぱいになります。

     10月14日(火)は、御招待を受け、リヨンから南方約30キロ、ローマ遺跡で有名なヴィエンヌ市にある「サン・シャルル学園」を訪問致しました。ここは、幼稚園から高校以降の高等教育機関までの私立校です。 日本語のクラスに参加させていただき、一緒に勉強をさせてもらいました。親睦会では次々と生徒さんが話しかけてきて、質問攻めにあいました。

     日本語は確かに難しい言葉ですが、メリットはたくさんあります。日本ほど外国の図書を翻訳している国はないし、マンガだって原文で読める、マンガは80年以上前からあって一生かけても全部読めない、そして何よりも、「大和の言葉の美しさが日本の文化そのものである」こと、表意言語の特徴等々説明しました。なぜ日本語を学んだのか逆に質問しましたら、一人の中学生から三島由紀夫の『潮騒』を読んで感動したからと答えられ、これにはうなりました。

     1箇月の間、ひたすら感じたことは、フランスにおける衰えることのない日本ブームであり、4年前と比較しても、日本愛好家がどんどん増えているということです。どうしても日本に行ってみたい、という気持ちで日本語を習い始める子供たちは多いです。そういう外国人を受け入れる日本が、いつまでも優しく親切で魅力に溢れた国であり続けてほしいと心から願いました。

     

  • 在リヨン領事事務所活動報告(平成26年10月1日号)

     

     在リヨン事務所長の小林龍一郎です。9月16日にエチオピアから当地に着任し2週間が経過しました。その間管内の多くの方に御挨拶をさせていただき、またお話を伺うことができました。これからも自分の役割と立場をわきまえて、誠心誠意任務を全うしようと思っております。また所員一同力を合わせ、皆様のお近くでお役に立てる在リヨン領事事務所を目指しますので、どうかよろしくお願い致します。これから定期的に当事務所の活動の様子をホームページに掲載させていただきます。皆様からの御意見等ございましたらお気軽に御連絡下さい。

     さて、第一回の今回は、9月30日に行ったグルノーブル出張を御報告致します。グルノーブル市は、昨年11月につくば市と姉妹都市協定を締結、リヨン事務所管内では4件目の日仏姉妹都市となりました。グルノーブル市とつくば市は、科学技術・最先端技術の開発研究について、世界に知られた学術都市です。29日から、グルノーブル市MINATECにおいて、第3回科学技術都市ハイレベルフォーラム(GIANT)が開催され、つくば市からは市原市長を代表団長として、産業技術研究所中鉢理事長、物質・材料研究機構潮田理事長、筑波大学吉川副学長が参加され、両市の協力関係が更に強化されました。

     専門家のお話を伺い、科学技術の最先端を行く国は、依然として日本であり、フランスであることが再確認され、「タッグを組める相手は貴国(日本)だけ」という言葉に、わが国がもの造り大国として、堂々と胸を張っていけるという確信と自信が漲り、それを支える研究者の方に感謝の気持ちが強く芽生えました。経済規模では日本は第3位になったのは事実ですが、わが国が、経済力を支える深い部分で一歩も譲らぬタフさを持っていることに、一人の日本人として誇りを感じました。今回植樹をしたつくば市の木であるけやきの木が、太く大きく成長していくように、日本とフランスの絆と協力関係がより一層強くなることを願い、我々もその努力を続けていきたいと思います。

    左の写真右から、MINATECジャン=シャルル・ジルベール所長、私、つくば市市原健一市長、産業技術研究所中鉢良治理事長、同岡谷重雄審議役。岡谷審議役は、20年前、私が外務省国際科学協力室の研修生時代に、科学技術庁の幹部として御活躍、当時大変よく指導していただきました。今回19年振りにお目にかかることになりました。
    右の写真は、左から市原つくば市長、エリック・ピオレ・グルノーブル市長、私。

     グルノーブル出張の機会を利用して、フランスを代表する映画研究所のひとつ、グルノーブル・シネマテークを訪問、ギヨーム・ポレ館長と日本映画祭の実現に向けて意見交換をしました。館長のお話では、日本映画は、黒澤、小津、溝口から最新のアニメまで、あらゆるジャンルで各層から広い支持を得ており、フィルムを通して日本人の思考や文化、生活習慣にまで関心が及んでいるとのこと。日仏文化交流の手段として映画を使わない手はないと強く確信しました。

     続いて、リズ・デュマジ・グルノーブル第三大学学長を表敬させていただきました(写真左)。グルノーブル第三大学では、東先生、竹内先生による日本語講座が開設されており、日本語は、他のアジア言語と比較しても第3外国語として学生の間で大変な人気とのこと。日本語を学ぶことで、言葉に内在する哲学、歴史、文化を知ることになり、知日家、日本ファンを育てることに繋がります。日本語は高いサラリーを得るために習得する言語ではなく、文化的に豊かに生きていくために日本語を学習する学生がいる、というお話には納得しました。グルノーブル第三大学の日本語講座では、筑波大学から留学されている学生の皆さんがお手伝いをされており(写真右)、元気で明るいお姿がとても印象的でした。

     

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